テレパシーについて考えてみた
昨晩、本を読みながらいつの間にか眠り込んでしまっていた。深夜2時頃、ポイーンっとLINEの音で目がさめると、県外にいる友人からのメール。
「ふと、ますみちゃんのこと浮かんだんだけど、元気?」みたいな内容だった。
その子とは不思議な縁で、わたしは勝手に友人と呼ばせてもらってるけど始まりはSNS。「あ、この人気が合いそう。雰囲気が好きだな(見た目とかではなく)」と思ってフォローしたのがきっかけ。そのうちわたしが作るアクセサリーを気に入ってくれて買ってくれたり、何も用事はないけどふと気になってLINEしてみたりという感じで、お互いふんわりと関わり合っていた。
彼女の住まいは関東で、ある時「青春18きっぷを買ったから真ん中あたりで合わない??」という誘いがあったのだけど、その時はわたしの気分が乗らずに断念していた。
そして昨年、いつもの突拍子もない思いつきで「そうだ、東京に行ってみよう。」と思い、彼女に会いに東京に遊びに行った。
その時が初対面。もうずっと連絡取っていたからか、初めて会った気もせず、普通に近所にお茶しに行ったくらいの感覚で、東京の街をぶらぶらした。
(今の所)生きてきた中で何時間かしか会ったことない人だけど、なんとなくふと気になって連絡した時、だいたい彼女がもやもやしている時だったりするらしい。
『ふと思い浮かんだ人から連絡があったり、偶然会ったりする』というのは気に留めていようがいまいが、日常に普通にあることかと思う。
以前読んだ本の中でこういうことが書かれてあった。
すべてが限りなく相互に結びついている宇宙では、あらゆる意識もまた相互に結合している。表面上の姿とは裏腹に、私たちは境目のない存在なのだ。あるいは、(ディヴィッド)ボームの言葉を借りるなら、「深層では、人類の意識はひとつなのである」。
これはマイケル・タルボットという人の著書「投影された宇宙」という本の中の一節なんだけど、この本は私たちが存在するこの宇宙は全てホログラフィックで出来ている、という科学とスピリチュアリティとの多角的な視点から書かれてある。
他者の考えていることがわかったり空間から物が出たりするのは、宇宙に存在するあらゆるものが切れ目のない1つの全体の表れだから。みたいなことが書いてあり、とても興味深い。
ならば、と私は思った。
そもそも「テレパシー」というラベルをつけているけど、私たちが普段どこからともなくやってくる閃きや直感と呼ばれるものはテレパシーのひとつの表現方法で、まだまだ慣れてないけれど、海外に移住したらその国の言語を学ぶようにテレパシーもちゃんと使えるんじゃないか。と。
テレパシーと似た能力で、「エンパシー」というものがある。
これはテレパシーと違って、共感して相手の波長に合わさってしまう感じ。人ごみに行くと疲れてしまったり、相手の感じてることが自分のもののように感じてしまったりするので、ちゃんと境界線を引いておかないと危なかったりする。
多分私もエンパスで(日本人は多いらしい)、昔は境界線を引くということをしていなかったために他人のエネルギーの影響からの疲れがハンパなかったです。でも、境界線を引くことを覚えると、今度はコミュニケーションにある程度必要と思われる「共感」ができなくなり、興味ない話をただ聞くことができなくなり、過去記事「他人に興味がない人」に続く。。。
というわけでテレパシーについてなんだけど、これは使える人同士だと携帯より早いのでとても便利。通信料かからないし、なんてったって光の速さだからね。
返事が返ってこない場合は素直に電話かメールをするべし!!