私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

うまくいかないこと

生きていると、度々うまくいかないことがある。

 

「なんだかうまくいかないなぁ」と思うレベルから、「運がわるい!」というレベルまで、さまざま。

 

昔は私も悪いことが起きると、なんでこんなことが私に??とかいうふうに、その出来事に対してものすごく悔やんだり落胆したりしていた。

 

だけどあるとき、こんなふうに考えるようになった。

 

(私にとって)悪いことってのは、「そっちじゃないよ!もっとあなたに合うものがあるよ!」ということなんだな、と。

 

ちがう道を選んでるときは、だいたい邪魔がはいる。(正しい道の場合は一度なくなってもまた現れたりする。しかも、より良い状態で。)

 

行こうと思った店が閉まってたりとか、パートナーと別れたりとか、職を失ったりとか、狙ってたものが買えなかったりとか、自分にとって「イヤだな」と思うことが起きたら、警告として捉える。

 

そうすると、「悪いことが起きた」で終わらせていたものが、その先の「じゃあ、代わりになにを選ぶ?」まで考えれるようになる。

 

しかも、「悪いこと」として受け取らなくなると、そこにムダなエネルギーを注がなくてすむ。クヨクヨしたり悩みのループにハマらなくて済むってことね。

 

 

先日、友達と「不幸ってなんだろうね?」という話をした。

だって、ちょいちょいイヤなことは起こったとしても「わたしは不幸」とまではなかなか決めることはない。

例えば、私は子供の頃一時住む家が無くなり、プレハブ生活をしたことがあるのだが、自分的にはその時が今までの人生の中で一番底辺だったなぁとは思うけど、「不幸」とまではおもわなかった。

 

なぜなら、そんな底辺な出来事のなかでも〝家〟という箱がなかっただけで、生活が出来なかったわけではないから。

 

「不幸」と口に出して言ってみると、その言葉の音からはベタベタしたヘドロみたいなものが浮かぶのだが、よくよく考えてみても自分を「不幸だ」と思ったことは、多分ないとおもう。

 

そんなことを話していると、「でも私たちいまこんなふうに『不幸ってなんやろね?』とか言ってるってことは、けっこう幸せなことだよね。」と友達が笑いながら言った。

 

その友達は結婚して子供もいるので、人生のレールがあるとして、それがうまくいってるという基準があるとしたら、彼女は私より「うまくいってる」ことになる。

 

そんな彼女に結婚について尋ねてみた。

 

『結婚したら幸せになるって、漠然と思ってた。デートしたり、一緒に過ごしたりするその楽しさが、結婚したらずーっと続くんだろうなって思ったから結婚した。でも、実際そんなことないからね。誰かと一緒に生活するとなると、やっぱりイヤなことは見えてくるよ。それを、どれだけゆるせるかだよね、きっと。」

 

そういう価値観が似ていれば、どんな事が起こってもどうにかなるんだろうなぁとおもった。

 

 

そうすると、うまくいかないことって、あるのかな?

うまくいくことしか、ないような気がしてきたね。