タンドリーチキンな彼
フェイスブックの広告に、首から下だけが写ったテッカテカに赤茶に焼けた肌に、筋肉ムキムキマッスルの男性の写真が流れてきた。
おそらく夏に向けて(もう充分夏なんだけど)、身体を鍛えましょう、男はマッスルでなんぼだぜ!!みたいなことを言いたかったんだとおもう。
その写真を見てタンドリーチキンしか思い浮かばなかった私は、きっと花より団子なタイプなんでしょう。
そのとき一緒にいた妹に、「ねぇ。これ、タンドリーチキンにしか見えなくない?」と聞いたら、『あぁ、塗って焼いて塗って焼いて。みたいなね?』と返ってきたんだけど、それはどちらかと言うと鶏の丸焼き的なやつだよね。いや、どうでもいいんだけどさ。
「彼氏がタンドリーチキンになったらどうする?」と聞いてみると、即答で『別れる』と返ってきた。
世間の自己啓発や恋愛相談などでは、必ずといっていいほどこんな教えがある。
『ありのままを受け入れましょう』
という事は、もし彼氏がある日突然タンドリーチキンを目指し始めても、それは「彼のありのまま」として受け止めるべきなのだろうけど、彼女はそれは出来ないといった。
うん。わたしもそれは出来ないな。
やはりそれは、相手と出会った時点でその要素(ここでいうならタンドリーチキンになる要素)が限りなく低いことを、何処かで察知しているんだろうなと、私は考えた。
なにが「ありのまま」なんだろう。
この部分を見定めるのはとても難しいことだと思うけれど、私の個人的な意見としては、タンドリーチキンを目指すというのは「与えられた自分のスペック、以外のモノ。何者かになろうとしている」という感じがするので、それは「ありのまま」ではないのではないか?とおもった。
だからといって、歳を重ねるとともに何もしなければ衰える一方の、ワガママボディなんかを「これが私のありのままなのよ!」と免罪符のようにつきつけるのも、なんか違う気がする。
タンドリーチキンになりたい男性、彼や旦那を漬け込みたい人にはこちらがオススメ。