今ここでふかふかの毛布にくるまっている幸福感は、私以外誰も知らない。
先日、久々『アメリ』を観た。
『アメリ』に出てくる人物たちの「好きなこと」は、豆の袋に手を入れることだったり、捨てられた他人の証明写真を集めたりと、一風変わっていてユニークである。
彼らは世間から見れば「変わっている」のかもしれないが、彼ら自身は単純に「自分の好きなこと」に対してただ忠実なだけなのだ。
自分の中にある「好き」は、どのように生まれるのだろう。そしてどこにあったり、どう取り扱えばいいのだろう。
ある人にとってはこれらを知ることは簡単でも、また別のある人にとってはとても難しいことだったりする。
そして、「好き」や「きらい」や「興味ない」の階層もたくさんあるため、これらを取り扱うときはじゅうぶんに気をつけないといけない。
いや、気をつけなきゃいけないのは、これらを自分の外に表現するときだけなのかもしれない。
以前こんな話を聞いたことがある。
とある夫婦がいました。
ある日の夕食に出ていたブロッコリーを旦那が残しているのをみて、妻は「彼はブロッコリーが嫌いなんだな」と思い、次からは旦那の皿にブロッコリーを入れるのをやめました。
月日が経ち、病で倒れた旦那が危篤状態になり、妻が見守る中、旦那はこう言いました。
『もっとブロッコリーを食べたかったなぁ』
妻は驚いて言いました。
「え?あなた、嫌いじゃなかったの?残してたじゃない!」
すると旦那はこう言いました。
『あぁ、あの時はお腹いっぱいで食べれなかっただけだったんだよ』
たしかこんな話だったような気がする。
ブロッコリーを死に際に思い出すようなことなんてないかもしれないけれど、このブロッコリーの部分はどれに変えてもいい。よくある話だと思う。
自分の本音を表に出さないために、義理母から要らない漬物をもらう羽目になったり、何でも出来ると思われてキャパオーバーになるまで頼られたり、自分の欲しい頼られかたじゃなかったり、いろいろとツライ思いをする羽目になる。
自分を偽ることの代償は、とても大きい。
「幸せになれる」と信じて飛び込んだ結婚も、いざやってみると自分の望んでいたものとちょっと違う、というような話も多い。
その人たちは恐らく、自分のほしい「幸せの形」にハマらなかったのだろう。
自分のほしいものを知るためには、自分に聞くのが一番である。
最近たまにお客様にも聞いてみたのだが、ある人は「仕事をしているときは結構幸せだし楽しいです」と言っていた。
私から見ても(といっても、店でお会いするほんの一時間ほどの積み重ねだが。)その方はとても楽しんで仕事をしている様子が感じられ、結果も出していて明確な目標に向かって取り組む姿勢はいつもイキイキしている。
逆に私のことを聞かれたのだが、とっさに「ゴロゴロすることですかねぇ」と面白くも何ともないことを答えてしまった。
しかし実際、今コタツでゴロゴロしながらコタツ布団のフワフワ感に包まれているこの感じは、私にとってはとても幸せなのである。
コインランドリーで乾かしたふかふかのタオルで身体を拭く瞬間も幸せだし、猫のカラダに顔を埋めてフガフガするのも、1日をリセットされた朝の職場に入った瞬間も、冬の空気の匂いも、たまに会った恋人がピタっとくっついてくる瞬間も、実験しながら作った料理が美味しくできた瞬間も、他にもたくさんあるけど、そういった日常の些細なカケラがわたしを喜ばせてくれることを、私は知っている。
大きな節目もそりゃぁ大事だけど、幸せってそういう所には隠れていないものです。
小さいころ砂場でさがした「きれいな丸い石の粒」みたいに、実はその辺に散らばっているのかもしれません。
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