離婚を留まる理由「子供のため」にどうも納得がいかない
夫婦が何かしらの理由で離婚を考える段階でよく聞く言葉、
「子供のために離婚はしたくない」。
これについて、わたしはずっと疑問が拭えない。
すでに破綻している夫婦生活を続ける理由に、子供は必要なのか?
私が実際聞いてきた話に共通するのが、「子供のために離婚したくない」と言うのは大体が女性側だということ、又、あまり素直ではなく自己犠牲が多い人物像ということが伺えた。
私が言うのもなんだけど、女性という生き物は実に難しい。
コミュニケーションの形態のベースがオブラートに包んだり、察して欲しいというやり方なので、この場合も本音は「私は(私のために)離婚したくない」という部分なのではないかと考えられる。
一度素直に言えばいいのに。と私は思うのだが、無意識に、本人はこれを言って現実に直面し、傷つく自分を恐れているが故に反対に強がるという行動に出てしまう部分もあるようだ。
今これを読んでいて、もし怒りがこみ上げてきたのなら、あなたはかなり色々なものを我慢しているのではないかと思う。
この「我慢」というのは「自分を犠牲にして周りにばかり奉仕してきた」我慢だ。
例えば「私は友達とランチしたり飲みに行ったりしたいのに、旦那がうるさいから」
「ご飯作ったり掃除したり頑張ってるのに認められない」などの理由で、自分で自分を過剰に縛り付けている。
「子供には父親が必要だ」
確かにそうかもしれない。
だが、愛はしがみつくことではないと私は思っている。
同じ家にいて心が通い合っていない両親を、身近で目の当たりにする子供の気持ちを想像してみて欲しい。
父親は黙り込み、母親は嫌味をぶつける。あるいは、ひどい喧嘩ばかりだったりもするだろう。そしてそういった両親の不仲の原因を「自分のせいだ」と思い込む子供がいることも事実である。
ある夫婦の話を聞いたのだが、旦那から離婚したいと打ち明けられた。その理由は、仕事が忙しくただでさえ休む間もあまりないのに、家に帰ったら嫁は毎日の愚痴話を旦那にぶつける。家事を押し付ける。「俺には癒される場所がない」ということだった。
それを聞いた嫁は一旦考えるも、「私が我慢するから子供のために離婚はしないでほしい」と言ったらしい。
男が「俺は仕事して金を稼いでるんだ。お前は家事だけやって昼寝する暇があっていいじゃないか」というのもどうかと思うし、
女が「私は家事と育児で自分の時間もないの。この辛さわかってよ!」というのも如何なものかと思う。
だって、お互い全く違うことをしているし見えてないのだから。
え?じゃぁなんで結婚しちゃったの?なんで子供作ったの?
と、私は思ってしまうんです。
先の夫婦の話に戻るが、「私が我慢するから」というと〝私だけ〟が我慢していると本人は思っているかもしれないが、実際は全員が我慢しなくてはならなくなる。
離婚したくないのなら、まずは自分が我慢するのではなく、我慢をしないこと。完璧じゃないことを自分の中で認めること。そして相手の許せない部分を認める方が建設的なのかもしれない。
そのあとにどのように関係が変化するかはわからないけど、しがみつくよりは断然いいような気がする。
まぁ、その意識に持って行くまでに時間や気力がかかるのも事実ですけど。
今日『JUNO』という映画を観ていて、エレンペイジの「可能性があるって思いたいだけ。二人が永遠に幸せでいられるって。」という台詞にとても共感したので、このテーマを取り上げてみました。