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私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

「違いを理解する理性に欠けているんだ。」

愛と大事なものはイコールにはならない。

それが例えば 自分の肉親だとしても。

 

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大人は時に「育ててあげた」とか「産んであげた」とかいう言い方をするが、子供をつくり、この世に産むという選択の責任はその親にあるし、この世に産むという決断をしたならば、ひとりの人間が自分の力で食べて生きれるまで世話をするのは当然のことだとおもう。

 

〝子供〟が苦手なら結婚したからといってムリに産む必要はない。

 

育ててもらったからといって、恩を感じなければならないのか?

それは、半分イエスで半分ノーである。

 

「なにかをしてもらった(与えてもらった)」というのは、完全に受け手が決めることであり、それを「ほら、あれもしてあげたでしょ?コレもしてあげたじゃない?だから有難く思いなさいよ!」と簡単に口で言われても、心はどうにも動かないのがごく自然なことである。

 

親は子を心配するのが当たり前。

 

そう言いたくなる気持ちは分からんでもない。

じゃあ、その「心配」って、実のところ何なの?

 

門限を決める。それは、何かあった時に責任を取るのが自分だから?

 

進路を決める。それは、自分の周りに「出来のいい子を持ったワタシ」として見られたいから?

 

同性愛者の子を軽蔑する。それは、自分が周りに変な目で見られたくないから?

 

昨日いいと言ったことを今日はダメという。それは、その都度の自分にとって都合のいいことしか考えてないから?

 

夫婦は「性格の不一致」を理由に別れれるが、親子はそうはいかない。

「同じ親から生まれた兄弟なのに性格が違う」? 当たり前だろ。

私たちはベルトコンベアーに乗って流れてきたんじゃないよ。

 

親は子を守ろうとして自分の近くに置きたがるが、子は自分を守ろうとして親から離れたがる。

 

 

愛とか大事なものとかって、本来そんなに重たいものじゃないような気がするんだけどな。

 

 

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