私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

「他人は鏡」の意味、わかってますか?

久々来た友人が「仕事でストレスがヤバイ」と話し出したので、私はふんふんと黙って聞いていました。

 

彼女はゴルフ場内レストランのホールスタッフなのだけど、少人数で回してるというのもあり、本来の業務以外の事までさせられたうえに、ミスがあったら責められ、嫌味を言われ、挙げ句の果てに「私はリーダーから嫌われてるとおもう。私に求めすぎなんよっ。」と言っていました。

 

私が話を聞く限りでは、嫌われてるかどうかの決定的な要素は見当たらず、「ははん、見えたよ。これはあのパターンやね」と自分の中の引き出しにしまっている「あのパターン」と照らし合わせながら、彼女の話を聞いていました。

 

「あのパターン」とは。

自分で勝手に「あの人に嫌われている」と決めて、思い込んでいるため、その意識をベースに毎日を生きるパターンです。

 

自分が誰かに嫌われていると想像してください。ってゆうか、多くの人がこのパターンを持ってると思うので、当てはめながら読んでください。

「私はAさんに嫌われてる(と思う)」と言うとき、自分の顔がどんな表情になってるか考えたことありますか?声は?どんな風に発していると思いますか?

恐らく、こわばった表情をし、声色は厳しいかと思います。

そんな感じで誰かに話しかけられたとしたら、あなたならどうしますか?

ちょっと防御反応に、なりませんか?

その、防御反応になってる相手の感じを見て、「私は嫌われてる(と思う)」と勝手に思い込むんです。そんな感じで来られたら防御反応になるのは当たり前です。

 

彼女はこんな事も話してくれました。

「ご飯を追加で炊くか炊かないかで、私が、あと何人くらい(お客様が)あがってくるか計算したら二十何人だったのに、他の子が〝十何人です〜〟って言った時があって。アレ?て思ったんだけど〝私が間違ってたかな?〟と思ってたら、やっぱり私が正しくて。でもそれが分かった時にはもう遅くて、ご飯間に合わなかったんだよね。」

 

私は言いました。

「何でそのままにしたの?自分が確認した事に自信がなかったの?自信がなかったならもう一度確認したらよかったじゃん」と。

 

話を聞いていくうちに彼女の中にみえたのは、仕事に対する自信のなさと、周りに嫌われたくないということ、そして、自分を信じれてないというようなことが伺えました。

 

彼女は自分に対して出来ることと出来ないことは、分かっているようでした。

『周りの人が仕事しやすいようにっていう気持ちはある。ほら、前にも話したやん、プライベートでも今日はコレとコレとコレをする!って決めるんだけど、思うように行かなかったら落ち込むって。』

 

私は聞きました。

「ねぇ、それってどういうことか、わかる?」

 

『え?……うーん、あ!私は自分に対して理想が高すぎるんよ!』

 

「ほら、今自分で言ったね!あなたこの話を始めた最初に、なんて言った?〝(周りが)私に求めすぎ〟って言わなかった?(ニヤリ)」

 

彼女が自分の周りの世界に見ていた「周りの人が私に求めすぎる」という景色は、彼女が彼女自身に対して「求めすぎている」ということを映したものだったんですね。

 

出来ることだけすればいいのよ、それに、〝出来なかった自分〟がいても良しとすればいいよ〜〜と言うと、来たときよりも表情が柔らかくなってました。

 

こういう話をしてると、ほんと毎回思うんですけど、世の中うまいこと出来てますよね。