年甲斐のない話
いきがって不良と呼ばれるようなことをするわけでもなく、かと言って真面目に生きるわけでもなく、ただなんとなく丁度目の前にバスが停まったからとりあえず乗ってみたくらいの勢いで(勢いと文字にするほども勢いはない)、ただなんとなく流れ着いた河の岸辺で待っていたADさんから「そこにある握り飯を食べて」と指示があったから何も考えずに口に運んでモグモグとするような勢いで(つまり勢いなんていう勢いがないってこと)、わたしはいま、また別の河の岸辺に流れ着いてぼぉぅっと世界を眺めている。
つい最近、この歳(35歳)になって何をおもったのか、わたしはスケボーを始めた。ペニーでもなくリップスティックでもなく、ホンモノのスケボーを。
まだプッシュ(片脚で漕いで前に進む基本中の基本の動き)しか出来ない。
以前ペニーから始めて、ペニーでのプッシュはうまく出来るようになり、近所の河川敷を行ったり来たりしていたのだが、人間は少し出来るようになったら調子に乗る生き物なので、わたしは少し調子に乗り、バランスを崩して豪快にコケた。
腕を擦りむき、膝を打ち、わたしはそっとペニーボードを車の後ろにしまった。
その時の痛みも忘れた頃、私はやっぱり諦めきれず、ついにホンモノのスケボーを買ってしまった。
youtubeにアップされている外人さんのスイスイ滑る動画を観た私は、「なんか出来る気がする。」という変な自信のなか、河の岸辺にいるADの「やめとけ」という指示を無視し、見た目だけはカッコイイスケボーを持って、暇と天気さえ合えば滑れそうな場所をさがし、練習していた。
そして飽きもせず、わたしは豪快にコケた。
相手のいないニードロップを夜のアスファルトでキメた私は、たまたま通りがかったトラックのライトに照らされ、その場で膝を抱えて悶えながら、遠く去ってゆくスケボーがひとりゴロゴロと音を立てて縁石で止まるのを見届けた。
チカラの入らない膝をなんとか立てて、変な汗をかきながらそっと車の後ろにスケボーをしまった。
それから一週間くらいほど経ったある日、私は朝寝坊をしてしまった。
まだ膝も完治せず、ひょこひょこしながら普段歩いているというのに、朝寝坊した拍子に慌ててしまい、二階にある寝室から下に降りようとしたその時、階段で足を踏み外してしまい、腕と背中と腰で滑り落ちてしまった。
めっちゃ痛かった。痛かったよ。
もうどこが痛いか分からないくらい痛かった。
見たくなかったが、私は見た。
薄皮がむけた、左腕を。
やっとペニーボードでコケた傷が薄くなってきた左腕を、今度は階段で擦りむいてしまった。
絆創膏を貼ったらジュクジュクになって治りが遅くなるタイプの傷だったので、そのまま何もせずに放置した。
会う人会う人に「火傷したの?」と訊かれ、「その…あの…階段から落ちてですね…」と一部始終を説明するのもめんどくさくなってきた最近、わたしはふと、かさぶたになった傷を見ながら思い出した。
昔、まだ専門学生だったころ。
私は刺青を入れたかったのだ。
今は亡き川村カオリの腕に入った黒豹を見て、なんとなくボソッと「わたしも刺青入れたい」と親の前で言ってみた。
すると母親に「刺青とか入れたら親子の縁切る」と言われてしまったため、自分の意志よりも母親の縁切り発言に自分を縛り付け、その後こっそり刺青を入れることもなく35年間生きてきた。
このスケボーや階段でコケた傷痕は多分死ぬまでのこるだろう。もうお肌の回復力もそんな活発じゃないし。
じゃあ、傷痕は良くて、なんで刺青はダメなんだろう。
いっそのこと、この傷痕の上に刺青でも入れてみようか。
年甲斐のない話なんだけど。