私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

「人はなぜ人を嫌うのか」について考えてみた

わたしは趣味の延長でたまにタロット鑑定もやっているのだが、最近ふと思ったことがある。

仕事の悩み、恋愛の悩み、などと入り口は様々なのだけど、そこを見ていくとたどり着くのが結局「嫌いな人」または「好きな人」をどうにかしたい気持ちが大元になっているようだ。

 

カードが示すメッセージは、その方も自覚していないような深い潜在意識の部分を中心に表していた。

タロット占いというと、一見怖いとか、未来がどうなるとか、この人はいい人なのかとか、そういうものが分かるみたいなことが一般的には流通しているように伺えるが、はっきり言ってそれだけわかっても何もならない。私の鑑定の仕方は、その人にとって最もベストな道を示す。

「じゃあこれからどうする?どこを変えていく?」の部分が重要だから。

 

「あなたは自分勝手で自分の立場を棚に上げて少し傲慢な様子、みたいなイメージが出てるんですが、、、」

鑑定では言いにくいこともズバッと言わなくちゃいけない。(得意だけど)

最初は本人も「いや、、そんなことないと思うんだけど、、」とタジタジしていたし、実は仕事を変わろうか悩んでいる、みたいなことを言っていたのだが、話を聞くと、職場環境や仕事内容云々よりも、「嫌いな人が一人いるから」という感じだった。

 

あぁ、だから物理的な環境に対するメッセージじゃなくて精神面が強く出たんだ。

つまり、カードは「場所を変えるよりあなた自身が変わりなさい。今のこんなところが、あなたが悩んでる状況を引き寄せてんのよ。」と言っていた。

そして、その方はその「嫌いな人」に嫌われている、だから嫌がらせされる、どうせ言っても何も聞いてくれない。みたいなことを言っていた。

 

人間誰しも完璧じゃないし、その日の気分や体調などによっても口調や態度などがいつもと変わってしまうこともあるだろう。

そして(言葉や態度を)差し出す方はきっとそこまで深く考えてないし、受け取る方は「あれ?なんか変だな。」という感じになる。

そのようなほんの些細なコミュニケーションのすれ違いが、いつの間にか大きな溝を作ってしまう。

 

だけど、ここで一度立ち止まって考えてみてほしい。

差し出された言葉(あるいは態度)に対して、どのような感情かを決定するのはどちらなのか。それは確実に「受け取る側」だ。

いくら差し出す側が気を使っても使わなくても、どうしたって受け取った方が自由に決めることができる。

怒っても、喜んでも、無関心でも、悲しんでも、受け手の素直で自然な何かが決めることになる。

 

わたしは思った。

嫌いな人が多い人ほど、自分の外側の世界に対して敏感で、内側の世界には鈍感なんじゃないかと。

 

わたしも昔は「嫌いな人」が何人かいたが、ある時何かの本で「周りの人は自分の鏡の役割、影の役割をしてくれている。」というようなことを知った。その時から「嫌いな人は私に何を教えてくれているのだろう?」と考えるようになり、以後、苦手な人や興味のない人などはいても「嫌いな人」はほぼいなくなった。

今思い浮かべようとしてもでてこないので、「嫌いな人」はいない。

 

そう。「もうちょっと鈍感になろう」とも決めたんだった。

それと「他人をコントロールしようとしない」とも。

まぁいっか、どう思われても。まぁいっか、嫌われても。でも私はこうしたいし。こう思ってるし。あなたがそうしたいならそうすればいいし。あなたがそう思うならそうなんでしょう。いいんじゃない?全てを交えなくても。しょうがないよ、みんな違う人間なんだから。私だってできないことはできないよ。(生活だって苦手だし)でも、私はこの分野は得意だから、あなたの分までお手伝いできるよ。

そんな感じになっちゃった。誰に対しても。

 

内側の世界に鈍感というのは、自分の欲求に鈍感ということ。自分の心の声を拾ってあげてないということなんだと思う。

 

なので、「嫌いな人」がいる人は、まず自分の心に耳を傾けることをやってみるといいんじゃないかなと思う。自分のことを必要以上に責めてないか?も。

一見関係ないようなことが意外と大事だったりするんだよ。