私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

付き合うってどういうこと?

今日、久々会った友人と「付き合うって、なんなんだろうね。」という話になった。

例えば、頻繁に会うしお互いの家に泊まったりセックスもするのに「付き合ってません」という人もいれば、三ヶ月も会わないし連絡もほぼ取り合わないのに「付き合ってます」という人もいる。
前者は男視点だと〝遊び人〟と呼ばれるかもしれないし、女視点だと〝都合のいい女〟なんじゃないの?とか言われたりする場合がある。
後者は、「それって付き合ってるの?」とか言われたりする。

じゃあ、一体「付き合う」の定義ってなんなんだろうね?

世間一般的には、グーグルくんによると、
お互い想い合ってます。あなたとしかデートしません。あなたとしかセックスしません。あなたにしか見せない部分があります。干渉します。などがあげられていた。

だが、あくまでも「世間一般」。
多くの悩める子羊たちはこの「世間が認める当たり前」に沿って「交際」や「結婚」をしているので、いざ好きな人が出来、付き合うという段になったとき、いつかは壁にぶち当たるのだが、その壁の高さや硬さを他の人の壁と見比べ、「わたしの壁って他の人と一緒なのかな?ズレてんのかな?」などという、悩むポイントが違っている場合もあったりする。

「付き合うこと」について、多くの悩みの原因は、「付き合うとなった途端に相手は自分のものとなり、自分の思い通りになったり、言うことを聞いてくれて当たり前だ。」という勘違いから派生していくように思う。

自分も相手も一人の人間。であれば、血の繋がり云々関係なく育つ環境、物事の視点、世界の捉え方、好み、表現のしかた、価値観などなど、「人間」という部分以外はすべて違うものを持っているので、自分を認めて欲しいなら、まずは相手のそのままを認めるのが筋なんじゃないかな、と、わたしは思うのだ。

とか言いながらも、「そのまま認める」というのはなかなか難しい作業。何故なら、自分でも気付かない嫌な部分(認めてない自分の内側)を相手に投影してしまうからだ。

これは、自分自身を高めていくためにも、又お互いの関係性を円滑(お互いが幸せになることも含む)にするためにも、避けては通れない道なんだなぁと、ここ何年かで徐々に自分に浸透した。

付き合うってどういうことか?
この疑問は世界中の人々が共通することはないと思う。

わたしなりの結論は、やはり、「自分と相手の間にあるものを噛み締め、良しとするなら、それは自分にとって付き合っている。」におさまる。〝噛み締め〟の部分が重要で、ここを少し間違うと一方的になっちゃうので、あくまでもわたしなりの、わたしにしか当てはまらない結論なんだけれども。


心が通い合っていれば、他人がどうこう言おうが自分にしか感じとれない何かはきっとあるはずなので、それが例えば蜘蛛の糸のようなものだとしても、しっかりと見失わないようにするのがベストなんじゃないかなと、わたしは思う。