話をすることとおしゃべりの違いについて考えてみた
今でこそ色々な人にブログを読んでもらう機会があり、「読みやすい、分かりやすい」とありがたい言葉を頂く事がありますが、実は「話をすること」に対してコンプレックスの塊だったんですね。
それに追い打ちをかけたのは昔、母親に言われた一言。『あんたの話分かりにくい、何がいいたいか分からん。』。
それが悔しくて、「話が上手な人はどんなふうにしてるんだろ?」と研究したわけです。
女性は基本「おしゃべり」は得意ですが「話をして伝える」は不得意な生き物です。それは何故かというと、感情が優位になるような性質ということ。そして『伝えたいこと』が自分でも把握できていないからなんですね、恐らく。
なので、「この人話長いし何が言いたいか分からんなぁ…」て人は自分のこと(思考や感情)をよく理解してない人が多いように思います。(性別問わず)
今わたしは相手に何を伝えたいのか。
これは言い訳じゃないか。
相手のせいにしてないか。
自分の気持ちや本音はどれか。
こう言ったことを考えながら言葉をそぎ落としていくと、本当に大事なことがシンプルに残ると思います。
「私はこう思います、こうしたいです、ここまでは出来ます。あなたはどうですか?」という、とてもシンプルなテンプレートなんですよね。これを一番はじめに言う。
それから、ああでもないこうでもないと相手の領域とすり合わせていって、お互いの真ん中を見つける、話を落としていく。
話のポイントを見失うと同じ会話をぐるぐる繰り返して疲れるけど、一つのポイントについてディベートしているとまったく疲れず、むしろその会話によってその場にいる人が活性化され、「あー楽しかった!すっきり!」という感じでちゃんと終わるような気がする。
こうして考えていると、何をするでも「自分主体」のスタイルが大事だなぁと思う。
自分を主体にすることで、関わる相手との健全な線引きができる。自分も相手も大事にすることができる。
分かりやすく相手に伝えるというのは、相手に対する思いやりでもあるわけです。
この流れで「言葉の要らない会話と言葉の必要性」について思うことがあるので、また…気が向いたら書きます。