時間とお金とどうなりたいかの関係について考えてみた
先日、年配の方がカットの予約で来店された時の話。
カットの予約で来ているから〝何かしたい〟のは当然で、私もありがたい事なんですが、「結べるくらいに伸ばしたい。量は減らしたくない。毛先を少し切りそろえて。」という要望に対し、困ってしまいました。
その方は毎月カットに来られる方なので、伸ばしたいのに1センチでも切ってしまえば、伸びた分だけ切ることになります。
なので、「もし今日カットしたら髪は伸びませんから、伸ばしたいなら切れません。どうなりたいですか?」とお聞きしました。
するとその方は「そんなこと考えたこともなかった」と仰っていました。
その代わりに髪を育てるメニューを勧めればいいのだろうけども、その方のステイタスを考えたらそれも必要のないものでした。
髪は一カ月に約1センチ根元から伸びます。この、〝根元から伸びる〟ということも知らない人がいまだにいるし、伸びた分だけ切れば伸びるわけがないことも、考えたこともない人が多いことにたまにビックリさせられます。
先の年配の方については、伸ばさず今の長さをキープする。という事で落ち着きました。
伸ばす伸ばさないよりも「今スッキリしたい」方が強かったのと、襟足の生え方の長さが一番気になっていたようでした。恐らく、伸ばして結べばスッキリすると思っていたのでしょうが、伸びるまでに最低三カ月は放置しないと結べる長さにはならなかったので、断念されたようです。
話は変わりますが、最近野菜が高いですよね。知ってますよ、もうだいぶ聞き飽きています。
野菜が高い、ガソリンが高い、など、価格の変動が季節や何かしらの事象によってはげしいとき、わたしはいつもこう考えるようにしています。
「元々その価格だった。」と。
つまり、高い高いと文句を言いながら一生懸命チラシと睨めっこし、どのスーパーが一番安いかなどと考える「時間」がもったいないんです。安いスーパーをはしごする時間とエネルギーももったいない。
(葉物野菜に関しては、別に無くても困らん。)
食べたいなら買えばいいし、無ければないなりのメニューをすればいい。私はそんな風に考えています。
ガソリンが高くなった時も、安いところにずらっと並ぶ時間がもったいない。
ちなみに私はジムニーに乗っていますが、ジムニーという車は軽自動車のくせに四駆で、車高も高く運転しやすいので、乗っているだけでとても楽しい車です。他人に言わせれば燃費が……とすぐ言われますが、燃費よりも楽しさの方が優っているので気になりません。
いつからか、世の中には〝時短術〟が溢れるようになったような気がしますが、私が思うに時間の価値観なんて人それぞれだし、誰かにとっては時短で得したと感じられても、自分にとってはそうでもない場合が多かったりします。それ意味なくない!?なんてことなんかザラです。
そんなことをぼんやり考えてみると、意外と「どうなりたいか」がアバウトすぎたりするんですよね。
他人と比べてしまって「自分はどうしたい」が見えなくなってることが、あると思うんですよね。
最後に、わたしは「いま、どうしたいか」については得意なんですが、長期計画はとても苦手です。
だって先のことなんて分からないんだもん。