肩こりは他人の人生の責任まで背負っているサイン
月に一度、体がだるくなってくるとマッサージをしてもらいに行くのだけど、私は肩こりが特にひどく、なんでこんなに肩が凝るんだろう?と疑問に思った。
職業病といえばそれはそうなのかもしれないけど、体に現れる物理的な症状というのは精神面や感情面などの見えない部分からのサイン、いわゆる「病は気から」というアレなので、手元にあった専門書を開いて調べてみた。
自分を愛して!―病気と不調があなたに伝える〈からだ〉からのメッセージ
- 作者: リズ・ブルボー,浅岡夢二
- 出版社/メーカー: ハート出版
- 発売日: 2007/10/31
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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この本は様々な体に現れる症状について、自分の中のどの部分からのサインかを詳しく解説してある本で、私にとっては家庭の医学書並みにお世話になっている。
肩の痛み
【感情的なレベル】
他の人たちのためにあまりに多くのことをしすぎようとしている、ということです。
そのために自分の望む方向に進むことができません。というのも、他の人たちの幸福や成功の責任は自分にあると思い込んでいるからです。
肩の痛みは一般的に、多くのことをする能力を持っている人に起こります。その人に対する体のメッセージは、「人生において多くのことをするのをやめる必要はありません。ただそれらを義務感からではなく、愛の思いで行うことが大切なのです。」
(本文より抜粋)
これを自分のことに照らし合わせて考えてみると、確かに思い当たる節は幾つかあった。
困ってる人を見るとなんか放っておけなくて、ついつい「こうしたらうまくいくよ」みたいな感じですぐ口を挟みたくなる。考えたら余計なお世話よね。
求められれば助けることは普通なのかもしれないけど、余計に思考の渦に沈めてしまった人も、中にはいるかもしれない。
結局の所、人は自分で気づいて腑に落ちないと変わらない。
求められもしないのに手や口を出す行為って、結局意識の中では相手を弱い立場においてるし、同時に自分を上に置いてるし、そうやって自分の価値を確かめる、みたいな。すごいいやらしいよね。本当の意味で相手のためにはならないし。
というようなことを考えながら、今までの自分の行いを深く反省。
他人の幸せの感じ方は、その人にしかわからないからね。
いや、わかってたんだけど。
沈殿していたお茶の葉をぐるっとかき混ぜたかのように、浮上してきたよね。
こう書いてて一つ思い出したことがあるんだけど、
以前、早朝にいつものコインランドリーに行った時、一人のおじいちゃんが自転車の後ろに羽根布団をくくりつけて洗濯しに来てて。
羽根布団だから乾燥したら倍に膨れあがって、帰るのにまた後ろに紐で縛りつけてたんだけど、一人でやってるからなかなかうまく縛れなくて、私はその光景を見ながら自分の洗濯物をたたんでいたのだけど、私が見てるだけでももう10回は布団を落としたんだよね。
その時他に店にいたのが私と、そこのコインランドリーの主のおばちゃんだけで、おばちゃんは店内の掃除をしてたからそのおじいちゃんに気づいてなくて。
「あと一回落としたら手伝ってあげよう。」
もうわかってたんだけど、期待通りに落としてくれたし、自分の洗濯物もたたみ終わったから、まず「手伝いましょうか?」と声をかけてみた。
最初はおじいちゃんもプライドが許せなかったのか、「いや、、」とか言って私を無視しながら黙々と布団を縛ってたけど、毎回同じところで落とすもんだから見ていられなくて「おさえとくね!」って無理矢理手を貸した。
見ている限りではおじいちゃんの要領がすんごく悪かったんだけど、私の押さえ方が気に食わなかったのか、「じゃまっ!」とか言われて。
(このジジイ。。。)と内心思っていると、モチャモチャやってる私たちに気づいたおばちゃんが「貸してみ!!」とおじいちゃんから紐を奪い取り、私が布団を押さえながら、チャチャッと器用に縛りつけていった。
そのおじいちゃん、昔の人だし男だし、プライドがすごくあったのだろうけど、きっとあのまま一人でやってたら帰れてなかったと思う。
私があのおじいちゃんだったら、もう、布団捨てて帰るよ。
でも、あの時は何も考えずに体が先に動いてたような気がするから、そういうのはオッケーなんだろうね。