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私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

プロセス重視は綺麗事なのか?

「結果がすべてだ」と言い切ってしまう人がいる。よくいる。

 

本当にそうなのか?

 

ある人にインタビューしてみると、こんな答えが返ってきた。

 

「えーと。。。
その事柄によるかなぁ。
仕事であれば結果が大切かなぁ。

だけど、例えば人間関係であればプロセスが大事だと思うこともあるしね。」

 

なるほど。そしてわたしも同意見だった。

 

仕事などの、明らかに数字を出さなきゃいけなかったり、何か確定しなきゃいけないようなものに対しては結果が大事だとおもう。

 

だが、わたしは「結果がすべて」とは言い切れない。

何故なら、求める結果を出すためには、それなりの行動(プロセス)が必要になってくるからだ。

 プロセスありきの、結果多め重視。といったとこだろうか。

 

 

人間関係についてはどうだろう。

人間関係をより良く構築するにあたり、まず、「結果」というのはどの部分を云うのだろうか。

例えば恋人同士なら、「付き合う」になった瞬間のことを云うのか。それとも、「結婚」を云うのか。はたまた、自分が幸せと感じた時のことを云うのか。

節目といえばこれくらいで、「結果」を見る部分というのはかなりグレーになっているようにおもう。

 「自分が幸せと感じる」が結果だとすれば、どんな状況やどんなものが自分にとって「幸せ」と感じるかを知っておく必要がある。

ここが『プロセス』となり、そのプロセスに沿って『結果』は自然と現れるだろう。

 

「彼氏ほしいけど出会いがない」とかいう人がいるけど、そういう人の話を聞いたり日常の生活を見てみると、彼氏本当にほしいの?いらないんじゃないの?とおもうことがある。

いくら美人で可愛くても、SNSの投稿写真がテーブルに乗った缶ビールで、寂しさアピールしたところで、男は食いつかないだろう。わたしが男だったらスルーの対象だ。

缶ビールの他に、ポエムやどアップの自撮り写真も危うい。

彼女たちはおそらく、自分のプレゼンの仕方を間違えている。スティーブジョブズが電波のないアフリカの原住民の集会でiPhoneをプレゼンするくらい間違えてる。と、わたしは思う。

 

誰だってひとりは寂しい。だけど、人が人を求める時、あからさまに寂しそうな人を見て「いいな」とは思わない。 

「あ、この人と一緒にいたら楽しい時間が増えそう。無理せず気楽に居れそうだな」と感じた時に、そこから始まるんじゃないかなとわたしは思うし、それは〝プロセスを大事にする〟ってことになるんじゃないかとも思う。

 

そんな風に考えてみると、「結果が全てだ!」っていうのは、なんかギャンブルのような気もする。仕事面には結構大事になってくるかもしれないが、人間関係でそれを掲げるとどこかギスギスした感じがしなくもないし、「あぁ、この人は形にこだわりたいのかなぁ」と思ってしまう。

それに、結果が出せなかった時に免罪符を突き出しかねない。「これだけ頑張ったんだからそろそろ認めてよ」みたいなやつ。

 

要はバランスが大事ってことになるのかな。両方大事。結果とかプロセスは目安でしかないように思う。

 どちらかに囚われるんじゃなく、もっと別のところに目を向けるために、プロセスと結果を見比べながら、時にそれらを壊したりして前に進んでいければいいんじゃないかなぁと、わたしは思う。