私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

Teenagers Are All Assholes

わたしは、美味しいものを食べるのが好きだ。

わたしにとっての美味しいものとは、お店で云えば例えば、どこでもだいたい同じ味のチェーン店ではなく、個人の、そこにいる人がメニューを考えてその人の手でゼロから作るようなもので、それらを日々の中で占める「食」の時間に優先的に食べたいと思っている。

それは何故かというと、個人が考えたものを食べる方が取り込むエネルギーは確実に高いし、仕入れの段階から考えると最終的に皿の上に現れる時にはその人の想いがたくさん込められている。それが味にダイレクトに出る。わたしはそう思っている。

もちろんチェーン店にはチェーン店の良さはあるが、ここではその話ではないので省略する。

 

食べ物を先に例としてあげたけど、これはすべてに云えることだと、わたしは思う。

 

わたしは美容師という仕事をしている。

美容師さんにも様々な特性があって、同じスタイルをカットさせても一つとして同じものは出来上がらないだろう。

わたし自身の今の髪型は、ボブに内側のこめかみから襟足にかけて3ミリで刈り上げて入るのだが、人によってはこの簡単な刈り上げをやってくれない場合もある。「女性の刈り上げは、、」という理由で。

そんなもん知るか、わたしは刈り上げたいのだ。

そんな自身の経験から、お客様の要望は〝長さが足りない〟といったような場合を除き、一旦一通り飲み込むように努めている。

バンドが好きだったり、アンダーグラウンドな雑誌を読むのが好きだったり、映画が好きだったり、漫画が好きだったりしたことがちょっとしたわたしの中のエッセンスとなり、小さな子供にサッカー漫画のキャラの写真を見せられ、「これにしてください」と言われても何も思わない。大丈夫、その通りにする。〝そんな雰囲気〟になるように、おばちゃん頑張る。でもワックスつけてね。

 

 

音楽にももちろん云える。

最近インターネットラジオを聴くのだが、知らない曲が流れてもそのバンドの音の出し方や声やコーラスには特徴があって、「ん、このドラムの感じは奴らだな」とか、「このコーラスの入れ方は奴らだな」とか「このギターの音はあいつだな」などと、一人音楽クイズをして遊んでいる。

 

こうして考えてみると、声、楽器、ハサミ、コンロ、オーブン、といったように、使う道具は違っても〝手から先〟で何かをするのではなく、人間の口の中に入っていったらつながる宇宙空間のような場所から、表現の素材は出てくるのだろう。わたしはそう思う。

 

ユウ・チューブくんのおすすめ動画を見ていると、横っちょのところに「横山健っていう人間が弾いてんだ、黙ってろ!!」というキャプションが目に入った。

最近はあまり聴いてないけど、高校時代はわたしにもハードコア、メロコア全盛期があり、この方の所属する世界を震わせた3ピースバンドにも大概お世話になった。

 

この動画の中で、彼は「ギタリストならギターを弾けて当たり前。同じテクニックを持っている人間が二人いたとして、片方はフレーズに縛られている。もう片方はそのフレーズを持って人をどうしたいかってことまで考えてる。そしたら先のことまで考えてる方のギターの方が響くと俺は思ってる。」みたいなことを言っていて、その言葉にとても共感した。彼がすごい人とかは全く関係なくして。

 

この動画の下の方につつーっと目をやると、「気持ちの問題ww こういう綺麗事ばっかいうやつ嫌いだわ」とコメントしている人がいた。

彼(もしくは彼女)は、おそらく人間の手で作った美味しいご飯を食べたことがないのだろう。髪は誰が切っても同じだと思っているのだろう。昨日はなかった蜘蛛の巣に気づくこともないのだろう。ポケットに100円あったとかいう、日常のささやかな幸せにはしゃぐことが少ないのかなぁ。

 

そんなことを考えながら、わたしはどこか遠くの国で栽培された豆からできた美味しい珈琲をすするのであった。

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