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私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

恋愛のカテゴライズについて考えてみた

「25歳までに結婚したい(はぁと」と、まだ今よりもずっとピュアだった20代前半に、私は当時付き合っていた年上の彼氏に「なんか友達みたいになってきたから」という理由で振られた。

「友だちみたい」に振る舞ったような記憶がなかった私は、「悪いとこあるなら直すから」といってみるものの彼の気持ちは変わらず、そのまま別れることになった。

寒い季節、玄関先で電話をしながら嗚咽まじりに泣きじゃくる私の背後から、そっと上着を持ってきてくれた母親の優しさを今でも覚えている。

 

「友だちみたい」があるなら「恋人らしい」があるはずだ。少なくとも彼の中にはそういうカテゴリがあったのだろう。

その当時はそのことに関してあまり深くは追求しなかったが、ここ最近になって友人らとの会話にのぼると考えてしまう。

 

彼の中の「恋人」はどのようなカテゴリだったのだろう。

恋人になったら、毎日電話したりメールしたり、週に一回はデートしたり、お互いの家に行ったり、お互いの友だちに会ったり、、、そんなとこだろうか。

こんな、文章にしたら二行におさまるような関係が「恋人」なのだろうか。一通りやったらあとはローテーションじゃないか。

 

今思えば、当時の私の、彼に対する接し方はキャピキャピしたようなものではなく、どこかフラットでシュールな感じだったのかもしれない。

シルバーは好きじゃないのに、誕生日にもらったイニシャル入りのシルバーのゴツゴツしたネックレスを見て、正直引いていた自分を今でもなんとなく覚えている。(ヴィヴィアンだったらよかったのに。)

 

世の中には恋愛本も溢れているし、ネットを開けばグーグル先生が教えてくれる。だが、教えてくれると言っても質問が間違っていれば正しい答えは得られない。

自分に自信がなくて、周囲の「当たり前」のカテゴリに惑わされて、捨てなくてもいい関係を捨てる人もいたりする。

 

そして、世間には「友達以上恋人未満」というカテゴリも存在する。

個人的な意見を云わせてもらうと、このカテゴリはお互いに何かしらの責任を負いたくないもの同士が、周囲に関係性を尋ねられた時用のラベルでしかないと思っている。

このカテゴリにおいて被害者アピールをするものもいるようだが、それはありえない。

このカテゴリが壊れる時というのは、おそらくどちらかが「ハッキリしてほしい」と言い出す時なのだろうけど、それは「どうするかを相手に決めてもらう」という心理があり、とても依存的で、自らの価値を下げていることに等しい。

 

「恋人」とはこういうものだ。(夫婦でも)。これに当てはまらないから、この関係は恋人ではない。

もしそのような思いが湧き上がってきたら、目の前にいるその人のことがちゃんと見えてないんじゃないかなと、わたしは思う。

 

これらのことを踏まえて、あえて云う。

カテゴリは必要だ。

 

 

 

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