私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

今度から「好きなタイプは?」と訊かれたらこう言おうと思う

うちにはテレビがないため、たまにYouTubeで最近の番組のおもしろそうな部分だけを観たりするんですが。

 

先日観たのは「ダウンタウンなう」。

ダウンタウン坂上忍がゲストと一緒にひたすら飲みながら本音トークをするという番組。そのゲストが伊勢谷友介さんの回を観たんです。

 

トーク内容はざっくり言うと、伊勢谷さんのモテ事情についてや、なぜ結婚しないのか、など。

わたしは伊勢谷友介という人があまり好きではなかったのだけれど、この回のトークを観て結構共感をもてるところがあり、ちょっと好きになってしまいました。(ついでにいうと、坂上忍さんも好きになってしまいました。)

 

特に共感したのが「自分のめんどくさい部分」。

わたしも自他共に認めるめんどくさいやつでして。伊勢谷さんは、

【僕もすごい論理的でうるさいんですよ。理屈が合ってないのに伝わるわけないんだから、ちゃんと説明してくれってなっちゃって。でも、(相手の女性に)気持ちなんだもんって言われて・・・】

と言ってたけど、私はさらに加えて「何となく嫌だ。理由はないけど。」みたいな直感を優先する部分もあって、いやぁほんとごめんなさいだけどって感じで。

 

これは何でかというと、わたしは「論理的も感情も同じ」って思っているんですね。

論理的に説明できることは感情的にも説明できるし、逆もしかりだと。表現方法の違いだと思うんです。

 

昔付き合っていた人からもよく「おまえの言ってる事は言い訳がましい。なんも響いてこん。」とか言われたことがありましたが、私から言わせると「いや、こうなってる感情をいま言葉(あるいは図解して)にして説明してるだけなんだけど。」という感じで、つまり当時は相手は感情優位、わたしは思考優位になっていただけで、中身は一緒だったんだろうなと今なら思います。

 

トーク内で伊勢谷さんの【なんで人って生きてるんだ?とか一回は考えたことあるでしょ?】という問いかけに対して、峯岸みなみさんが「ないです」と答えてて。わたしも観ながら『えー?ないの??』と思ってしまったんですけど。

わたしもたまに「人生について」とか「自分の存在について」とか、そういうことを考えることがあって。当然ながら明確な答えは出ないのだけど、ただ何となくそれらについて考えてその時その時の答えをアウトプットして、誰かとあーでもないこーでもないって話をすることが好きなんです。

そんな内容に「俺はね〜、」とか「わたしは〜」って、自分の考えを言える人が好き。

 

だから、中身のない話とか単なる愚痴話とか建設的でない話をすることに対して「自分の時間を割いてまでそんな無駄な話を延々とする意味が分からない」という意識がある(だから世間話が出来ない)し、まぁ、ただ私が興味ないだけだから批判するつもりはないですが、たまにでも論理的な話ができない人とは少し距離を置いてしまう自分がいます。正直ね。

 

【だから、論理的に考えて、行動の原理を見つけて、それを形にするってことを繰り返すことが人生だと思ってるから・・・】

 

という伊勢谷さんの言葉にも共感で、自分と真逆の性質の人に対してはほんとに『ちょっと考えたら分かることなのに、なんで分からないの?』と考えさせられることも少なくなく(自分と同じと思っちゃいけないとはわかってはいますが。)、昔から「考えること」が癖というか、日常生活を送るための標準モードになってしまっているので、逆に『何も考えずに生きていけたら幸せなんだろうか』などと羨ましく思うこともあります。

 

こんな風に、感情を論理的に言葉にして説明しちゃうから、表面的には「冷たい人」と思われるんでしょうね。

表面クールな人って意外と中が熱い人が多い。それって、「いろいろ諦めてきた果ての」クールさなんじゃないかなぁなんてことを、ふと思いました。

 

そうそう。タイトルに戻りますね。

今まで好きなタイプってどんな人?って訊かれて、「白いパンツ(ズボンの方)を履かない人」って言ってきたんですが、これからは『自分の意志をちゃんと持っていて意見交換できる人』も付け足そう。

 

いやぁ〜、でもやっぱり『白いパンツを履かない人』は絶対かも。