私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

長い間心に突き刺さったままの腐った釘の話(傷つくのが怖い人の話)

最近気づいたこと。

私は「嘘をつく人が嫌いだ」ということ。

「嘘」にも色々あるが、私が云うその「嘘」とは、主に『自身の本音をストレートに表現せずに、察して欲しいという気持ちからくる建前。』という言い方が一番近いだろうか。

まぁ、とにかく嘘つくやつは嫌いだ!という思考が私の中にあった。

心理学的に言えば定番の「投影」ということになるので、「、、、ということは、自分の中にも同じものがあるか、又は過去にあった出来事を繰り返している。もしくはそのどちらも、ということか、、、。何だろう。」と思ったのが今回のこの話の始まりである。さらに、なぜこんなめんどくさいようなことを考えたのかというと、自分のめんどくささに飽き飽きし、もう終わりにしたいと心の底から決意したからである。

 

妹とこの話をしていると、「あんたがいう嘘ってのは浮気されたことが関係してんじゃないの?」と言われた。

時は遡り私がハタチそこそこの年の頃。私は当時約2年程付き合っていた彼氏に振られた。しかも原因は向こうの浮気。つまり、私は捨てられたのだ。

自慢じゃないが、私は自分でも嫌になるくらい勘が鋭すぎる。

それまで何とも思わなかったのだが、ある日、ふとした瞬間に何かがぷつっと切れる感覚があった。おそらく彼の気持ちが此方から彼方へと移った瞬間だったのかもしれないし、ただ単純に私との見えない繋がりの糸のようなものが切れたのかもしれない。その時私は何も聞いてないし確かめもしてないのに「あ、終わったかも。」とだけ思った。

それから連絡をするが、一向に彼からの返信はなかった。

そして何日かたったある日、「ごめん。別れよう。」みたいなメールがきた。

何が原因だったかサッパリわからなかった私は納得できるはずもなく、その理由を知りたいのとまだ別れたくないということを言う為に電話をした。

簡単に言うと「友達みたいになっちゃって恋人に思えなくなったから」と言われた。

今の私から言わせてもらえれば「ハァ?何言ってんの?そっちの方がいいじゃん。」って感じなのだが、当時の私はまだ『恋愛』というものに不慣れで、「恋人みたいじゃないってなに?セックスが下手ってこと?」というトンチンカンなことしか浮かばなかった。

もちろん理由は全然違う所にあり(これが分かったのもごく最近のことなのだけど)、彼がいう「友達みたい」は、仕事終わりに迎えにいくとか、用事がなくても電話をかけてくるだとか、わがままいうとか、そういった女子的な要素が私に感じられなくなった。ということらしい。

現に私は電話が苦手(電話するなら会いたい)だし、当時まだ美容師の下っ端で営業後に練習などがあり、帰るのが夜中になるのがざらだったし、四人兄弟な為思いっきり長女気質で「自分のことは自分でする」スタンスを子供の頃から親に強いられていた。彼が求めていたのは「一般的な彼女」であり、素のままの私とは程遠いのである。

さらに私は恋愛経験が少なく、「一旦お付き合いしましょう」となれば別にわざわざ毎日電話する必要性もないというある種の相手に対する〝信頼感〟があったような気がする。なので、おそらく自分から彼に電話したことは用事以外一度もなかった。

今こうやって書きながら「男みたいなやつだな」と思ってしまった。

そりゃ当時の彼も冷めるわな。

このように、相手のことを一ミリも疑ってなかった私が、ある日突然彼の裏切りのため、体が裂けるかと思うくらいのショックを味わうことになった。

この人と結婚するんだろうな。まで思っていたのに、知らない間に女を作り、気持ちも全部逝ってしまった彼に対し、電話越しにみっともないくらい号泣し、悪いところは直すから考え直して欲しいとひたすら懇願したが、彼の答えは変わらなかった。

その時の私の感情の荒れ具合は相当だったと思う。今でもその光景ははっきり覚えている。そしておそらくその瞬間が、私の人生のトラウマを刻んだのだった。

 

その後、付き合う人付き合う人ほぼ全員に「浮気をされる」または「距離を置かれる(物理的にも)」という現象が続くようになった。

 

その彼と付き合っていた間、私は結構「そのままの自分」だったように思う。

しかし、

彼に見合う女になるには、そんな自分に嘘をつくしかない。

ありのままの自分でいると拒否されるのか。

、、、みたいな思考が潜在意識にインプットされたのだろう。今過去を振り返ると、過去に付き合った人たちに自分の素を出していたかと聞かれたらノーである。

だって私は「恋人には聞き分けのいい女」に成り下がってしまったのだから。

「聞き分けのいい女」の時は浮気され、

「どうしても心を開けない人」には物理的な距離が生じた。

 

あれから十数年たち、現人生の目の前にいる人に対してもあの時にインプットされたトラウマから生じる「繰り返す反応」に、私はもう心底嫌になったのだ。

もういいでしょう、解放されても。

目の前にいる人は関係ないのに、過去のフラッシュバックが現在の些細な行動と結びつけてしまう。関係を深めたいのに、腐った釘が邪魔して、なかなか信頼できないでいる。本当は近寄りたいのに、傷つくのが怖すぎて近寄れないでいる。

 

冒頭の話に戻る。

『自身の本音をストレートに表現せずに、察して欲しいという気持ちからくる建前。』というのはつまり私のことで。

本当の自分を見せたら、また、嫌われるんじゃないか。

みたいな思考がべっとりと張り付いていたのだ。

なので、ハタチそこそこから最近までの人生の大半を、傷つくのが怖いという理由で、「言葉で自分の気持ちを表現すること」ができなかった。主に恋愛の分野で。

結構ひん曲がった表現をしてたんだなぁ、そりゃ伝わらんわ。と思った。

 

最近とある本を読んで、その本に「自分中心の表現」をすることがいかに大切か。ということを知り、じゃあ私が当時浮気された時に、本当は相手に自分の〝どんな気持ち〟を伝えたかったんだろうか。その本に書いてあった例に当てはめながら考えてみた。

「自分中心の表現」とは、「感情の言語化+意志」さらに「矛盾する気持ちも言語化」するというもので、これを踏まえて当時付き合っていた浮気した彼氏、さらに今まで付き合った中で『浮気した彼氏全員』に捧げます。当時の私の気持ちになったつもりで、めちゃくちゃ恥ずかしいけど、手紙を書いたので読んでください。

 

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『浮気した元彼(たち)へ』

あなたが浮気していることを知って、正直体が引き裂かれるくらいのショックを受けました。とても傷つきました。

私と会ってない時に他の女と楽しんでいたり、その人のことを大事に扱っていたのかと思うと、すごくさみしい。

同時に、私があなたにしてあげれることがなかったのかなぁと思うと、それがそれで申し訳ない気持ちにもなりました。

このような気持ちがあったとしても、今でもあなたのことが好きだし、あなた自身を嫌いになった訳ではありません。

だけど、またこんなことがあったら、、、と思うと、つらいです。

信頼が崩れたり、お互いの関係に対して責任が持てないのなら、別れるという選択肢を選んだ方がいいのかなぁと 思っています。

正直、今すぐには 気持ちが整理できません。

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私の気持ちよ、成仏したまえ。

 

 

「嫌われるのがこわい人」のための自己主張レッスン

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