私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

好き嫌いがはっきりしている話

とりあえずいま、アイフォンの充電が6パーしかないけど、思い立ったので書き始めます。

 

今日は仕事終わるのがおそかったので、近所にある遅くまで開いていて気軽に入れる〝や◯い軒〟に寄って晩御飯を済ませることにした。

 

ココは食券システムなので、店内に入る前にまず食券を買わないといけない。食券機が二台あるのだが私が入ると二台とも鈍臭そうな夫婦が陣取っていて、あぁでも無いこうでも無いとダラダラと選んでいた。

 

私は絶好調にお腹が空いていたし、一日中働いてきた疲れもピークに達していたため、「はよせぃや!!!」と叫びたいところだったが、一応大人なので、そこはグッとこらえた。

 

ひとりのババアは「こっちよりこっちの方が量があって安い」だの「チゲかぁ〜〜最近辛いのダメなのよねぇ〜〜」だのとぶつぶつ言いながらダラダラしていたので、「お前のチゲのこととか知らんわ!」と叫びたいところだったが、これでも大人なので、小さく舌打ちだけにしてみた。

 

腹が減ってるのだよ。

 

やっとこさひと組のババアたちが退いたので、私は最初から決めていたチーズハンバーグ定食の食券を買った。雑穀米に変更して。

 

やっとたべれるぜ〜〜と席についたとき、ふと先程のババアたちが何故あんなに「自分が食べたいものが分からないのか」を考えてみた。

 

わたしの場合、何か食べに行くときはあらかた「何の気分か」が決まっている。それは食べたいものの種類に限らず、もし誰かと行くならその人とのシチュエーションを含めた雰囲気を考えるし、ひとりなら、まず何を優先するか考えながらその中で食べたいものを決める。

 

例えば今日なら、

・夜9時以降

・なるべく人の手が作ったやつ

・米

・さっと食べて帰りたい

・猫のご飯も買わなきゃ

 

という要因があったので、トータルで出来る限りそれらの要因を満たせるところが〝やよい軒〟だった。

あ、◯にするの忘れた。もういいね。

 

私の場合、こうして優先順位を決めて行くと行くべき店が決まり、店が決まれば「あそこならアレを食べよう」が絞り出される。

そして大体席に座る頃には選ぶメニューは決まっている。

 

服を買うのも早い。

私が服を買おうとするときも、食べ物と同じで、「色は何系、サイズ感はこれ」とか、「色は黒で変な服」みたいな感じで大体のイメージを決めていく。

すると、不思議とイメージに近いもの、或いはピッタリなものがあり、店に入って最初からそれがそこにあるのを知っていたかのように華麗にサッとレジに持っていく。あまりに早すぎて店員さんに「はやっ!」っと突っ込まれそうなレベルである。

 

こういう買い物が何故出来るかというと、自分の体型のメリットデメリットを知っていて、似合う型似合わない型(例えば太って見える襟の形、とか。)を把握していて、それを基準にあとはその時の気分の色などをチョイスすればいいことを分かった上で買いに行くからだと、わたしは思っている。

だから、自分の服を自分で選べない人の気持ちがよく分からない。

(こだわりのない人と選べない人は違います)

 

これは人間に対してもあるかもしれない。

わたしは、好きな人種と興味の無い人種がはっきり分かれている。

好きな人種は、深みのある話が出来る、かつユーモアも感じられる人たちだ。

単に真面目な人間や薄っぺらい話しか出来ない人間にはあまり興味がわかない。

例え答えが出ないとしても、自分の言葉でディベートできる人は、人間的に興味がわく。そこにその人だけのオリジナリティが見え隠れするからだ。

 

好き嫌いがはっきりしている、とか言いながら、たまに「何でもいい」という時がある。

つまりその時一緒にいる相手に対していう場合なのだけれども、この「何でもいい」をもう少し詳しく説明すると、「あなたの選ぶものは私が選ぶものと似通っているので、それならば今はあなたが選ぶものを優先していいですよ。それはあなたが心地よくいれるであろうから、私もあなたにそうで在ってほしいんです。それに、たまには自分で選ぶよりもあなたが選ぶものによって、何か新たな発見や面白い展開になるかもしれないじゃないですか。いまはそんな気分です。」

の、『何でもいい』なんです。