私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

だから結婚できないのかもしれない。

「私って合理主義ってやつだったんだ!」と、今更気付いて自覚しました。

 

まぁ、うすうす感じてはいたんですが、確かに一番無駄にしたくないものは「時間」です。

何よりも時間が大事。

おそらくお金と同じくらい大事。

時間をお金で買うなんて普通です。

頭の中では常に何かと何かを比較検討しているような気がします。

 

例えば夜ご飯を食べに行くにしても、

今日は何が食べたいのか、今いる所から一番近いとこはどこか、帰りの体力を考えたらどこがいいか、などなど、いくつかの要素を検討してバランスよく一番その時の気分に近いものを選びます。

 

誰かと会うにしても、自分の用事を織り交ぜることもあります。

時間と時間のあいだの時間もまた、大事なのです。

グーグルマップの予定時間に絶大的な信頼を置いてます。

なので、わたしが「あと◯分で着くよ」と言うときの「◯分」はほぼ正確で、あまり狂いがないのに、その時間に相手が準備できてなかったりすると、ちょっとイラッときたりもします。

 

「無駄足」がキライ。

 

料理をするにしても「どれから取り掛かって、どれを最後にしたら食べるときに温かく食べれるか?(温め直さなくていいように)」と組み立てる。

 

それなのに、何故だろう。

計画性がないと自分では思ってた。

計画しすぎて窮屈になるんじゃん。

でも、すべてに対してこうじゃないのよね。

行き当たりばったりな部分もある。

ダラッダラな部分もある。

 

おそらく合理主義な人が動かないときって、

「動く必要がない」っていう自分の中のモノサシに沿ってるときなんじゃないかなぁと思う。

でもそんな時なんか滅多にないんだよね。

だいたいが動いてるから。

動いてる時は「動く必要がある」ときで、それは必ずしも「動きたい」っていう自発的な本音ばかりじゃないのかもしれない。

「そこに自分というピースがハマった方がうまくいく」みたいな、自分の事を機械の部品みたいな見方でみているような気がする。

 

常に生産性は考えてる。と思う。

会話一つにしてもそう。何かを生みだすような生産性のある会話(討論など)は好ましいけど、ただの愚痴や自慢話や不幸話はよっぽど自分が好きな相手じゃないと聞けない。話を聞いてる側から、自分が腐れてカビが生えていくのがわかる。アンパンマンを呼びたくなる。

長電話も苦手。だって途中でトイレ行けないし用事が出来ないじゃないですか。

用事って、寝転がって本読むことも含まれるんですけど。

最初はいいけど、段々相手の話に興味が無くなってくるんですよ。そしたら正直あんまり話聞いてないんですけど、電話でそれっていうのも意味ないし、一応は「申し訳ないな」とも思っているんですよ。

 

多くの女性は(男性もたまにいるけど)何かにつけて時間を無駄にしたがる(お喋りや買い物や食事など)けど、そういう女性特有の非生産的な行動が、私はニガテだ。

彼女たちは自分の時間を惜しむくせに、自らの行動が非生産的だということに気づいていない。

 

しかし、決して合理主義が良いという訳ではなく、合理主義にももちろんデメリットはある。

生産性を気にするあまりに、非情になってしまう。

「冷たい」だの「あんたに私の気持ちが分かるわけがない」だのと言われることも、珍しくない。

そして『わかりません。分かる訳がありません。』などと言って火に油を投げ込んでしまう。

そういった部分は、ちょっと反省が必要でもある。感情を抑え続ければ、自分の感情がどこにあるのか麻痺して見つからなくなってしまうのだ。

 

しかしそんなクールさを自分でも愛しいと思うのだよ。