「愛を本物にする選択肢」とはどのようなものなのか。
わたしたちはしばしば、自分と関わりを持つ相手との間において、「未来の保証があるかどうかによって、今この関係を続けるかやめるかを決める」という選択のしかたをしてしまがちである。
よく聞くのが、「この先、私と結婚する気がないなら、もう別れよう」という女性の言葉。
そしてなぜ女性と書いたかというと、やはり1番の理由は「女性には体の期限がある」ということだろう。
子供を設けたい人にとっては、医学的に言われる「女としての有効期限」に焦りを感じてしまう。
ただ、いつもちょっとだけ疑問に思うのが、
「子供が欲しい。旦那はいらない」という人がわりと多いことと、その人達はそうは言っても「相手は誰でもいいわけではない」ということ。
そんな!矛盾だらけやんか!!
と、私は思ってしまうのだ。
わからんでもないのだけど。
でもね。
「私と結婚する気がないなら別れよう」
と言うとき、その相手との関わりの中に「心」はあったのだろうか?と疑問が湧いてしまう。
「とんこつラーメンには煮卵ついてないんだぁ。じゃ、味噌ラーメンにする。いま煮卵食べたいから。」
みたいに、そんな簡単に未来の確証の中に「結婚」がないだけで、今まで付き合った相手を切り捨てられるの!?などと、考えてしまう。
初めから「結婚」がしたいなら、「結婚したい人」がいるところに行くのが手っ取り早いし、もし出会いがあったのなら、最初っから「私は後々結婚したいです」ということをプレゼンしといた方がいい。
それをしないから、「無駄な時間を過ごした」なんて愚痴る羽目になるのだ。
なぜ今日こんなことをツラツラと書いているかというと、以前買って読んだ石井ゆかりさんの著書「愛する力。」という本をたまたま手にとり開くと、こんなことが書いてあったから。
『「未来にうまくいくなら、今それを選ぶ意味もある」と、私たちは考えます。
でも、もしかすると、愛を本物にする選択肢は、その選び方では、見えてこないのではないか、と思うのです。』(「愛する力。」より)
未来に確証がないから別れる。という決断が頭の中にあるとき、そこにあったのは「愛」ではなかったのかもしれないなぁ。と、思ってしまうのである。
私はこれを、「責任転嫁」と捉えてしまう。
結果はどうなるか分からないけど、今のところ私はこうしたい。それでだめなら仕方ない。でもそうしたい間はそうする。
と腹から思えるとき、人はブレがないのだ。
未来を作るのは今。と、よく耳にする。
それってこういうことなんじゃないかなぁと、私はおもう。