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私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

お互いを尊重するための一枚の壁

結婚しているパートナーと、玄関だけが一緒で中に入ったら居住空間が別れてるっていう家に住んでたのは村上春樹だったっけ?誰か忘れたけど、そんな話を思い出した。

「普通」、声だけの恋人なんてあり得ないのかもしれないけれど、私はこの「たまたまのお隣さんと音だけの共有パートナーになる」というのは、ずいぶん共感を得る部分が多かった。

名前も知らない、会わない、でも生活音をすべて共有するということは、映画の中のセリフでもあるように「見えないものがみえるんだよ」ということになる。

 

私は生まれつき視力がある状態で生まれたため、普段の世界を平面的に見ている。だが、生まれつき視力がない人にとっては、世界は立体で〝視えている〟らしい。

そんなふうに、相手の表面を見ないまま、声や動作の音だけを頼りに相手を知るということは、相手の〝ありのまま〟という部分を見ることになる。

「パジャマでいたければいればいい、股間をかきたければかけばいい」というように、本来なら気を使わず自分の心の要求そのままにいればいいのに、私を含め多くの人が「見られている」ことを気にして思うように振る舞うことができない。

他者を「理解」することは無理なのに、私たちは「わかってほしい、わかってもらえない」という無茶な要求をしてしまうことが当たり前になり過ぎている。

 

相手のありのままを知るためには、「知り過ぎない」という一枚の壁が、もしかしたら必要なのかもしれない。