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私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

私たちは好きかそうじゃないかを選び続けている

たまに、自分自身に対して「趣味を見つけないといけないですね」とか、「好きなことを見つけないといけないですね」とかいう人がいる。

毎日、ほぼ毎日好きなことをしたり好きなように過ごしている私からすると、その発言が出てくる大元の気持ちがよく理解できない。

私が思うに、それらの発言をする人っておそらく「好きなこと」ってどこか自分の手の届かないところにあるように考えているんじゃないかなと思った。

 

私にとって「好きなことをして過ごす」というものは、いかにノンストレスで日々を過ごすかってことで、悩みやストレスが全くないわけではなく、コロコロ変わりゆく気分になるべく沿ってあげるというふうに捉えている。

好きなこと=何か特別なこと、ではなく、「今日はラーメンの気分だからラーメン食べに行こう」みたいな、もっと日常に密着したものの積み重ねなのだ。

そんなことなの?という声が聞こえてきそうだが、そんなことなのだ。

 

私は幸い自営業をしているため、縛られたくない気質のわたしにとっては〝雇われるストレス、職場の人間関係ストレス〟の軽減度は結構高い。

しかし、そのような自由への対価はもちろん〝責任〟というカタチで現れてくる。毎月ちゃんと一定の額以上売り上げないといけないこと、お客様との間の信頼関係を保つこと、情報収集.発信、マンネリしないように変わり続けることなど、これらの元をたどれば〝取捨選択〟の上に成り立つ。

 

何を選び、何を捨てるか。

私にとってのこの選び捨てるかの基準は、〝なんとなくいい感じ〟というものである。

もちろん〝好きかそうじゃないか〟で決めることもあるが、それは最初からはっきりとわかりやすい場合が多く、いまいちよくわからない時は落ち着いてジッと自分の胸のあたりに意識を向ける。胸のあたりがざわざわして嫌な感じがしたらソレは選ばない。

好きなことを選ぶということは、そうじゃないものを捨てることでもあり、この両方ともか、あるいはどちらかだけでも自分でわからないと、先に書いたように無理やり趣味を見つけようとしたり、好きなものがわからず麻痺したりするんじゃないかなと思った。

 

好きなものを選び取る時は、「でも〜」とか「だって」とかいう言葉は出てこないはずだ。好きなものにわざわざ理由をつける必要なんてない。〝なんとなくいい感じだから〟で十分だと思う。