正直者は本当にバカをみるのか考えてみた
「正直者は馬鹿をみる」ということわざがあるが、はたしてそれは本当なのだろうか?と考えることがある。
このことわざが指す「正直者」とは、一般的には〝真面目でいい人〟みたいなニュアンスが感じとられるが、これは言葉通りに意味を取った場合と、どう正直なのか?の焦点の当て方によっては、いくぶん意味が違ってくるような気がした。
世間一般でいうところの〝真面目でいい人〟に焦点を当ててみると、そこから感じ取れるニュアンスは、誰にも反発しない、嫌ごとも言わない、誰が見ても優しい、といったところだろうか。一見これらは〝良い〟とされ「協調性のある人」と言われる場合もある。
しかし私の個人的なイメージで言えば、「協調性」という言葉は「妥協してなぁなぁでやり過ごす」みたいなものがあるため、協調性のある人=自己主張が乏しい人みたいな感覚がある。嫌ごとを言わないのも、裏を返せばその人は自分の心の声に嘘をついている時があるということになる。
そのため、本人のことをよく知らないうちから「あの人は真面目でいい人よ」と言われても、正直その言葉は信用できない。
「どう正直なのか?」という部分に焦点を当てたとき、私の中での〝正直さ〟というものは、他人が何と言おうが自分の中に確実に感じるものを外(他人)にも中(自分)にも表現する。というニュアンスがある。
外見や表現の仕方はそれぞれあったとしても、「自分の中に感じとるものを表に出す」という意味で言えば一貫していると私は思う。
これらを踏まえて「正直者は本当にバカをみるのか?」考えてみると、バカはみる。ただし、バカの見え方が違う。なのである意味バカはみない。という結果が見えてくる。
先に書いた〝正直者〟は「自分ばかり真面目にやって評価されない」といったようなことを感じるだろうし、後に書いた〝正直者〟は理解を得られないことが多いだろうと思う。どちらが良いとか悪いとかではなく、自分の生きやすい生き方を選べばいいんじゃないかと思う。
私は思ってもないことを口にするのはどうも向いてない。なのでお世辞が言えない。社交辞令も苦手なので、真に受けてしまって相手に変に思われたことも今までたくさんあると思う。〔今は調子を合わせる技を習得したけど、疲れるし、基本〝合わせること(ジョーク)〟さえ楽しくないと合わせるのが面倒くさいとも思っている〕
犯罪者によくある「あの人は真面目でいい人だったのに」というのは、先に書いた〝正直者〟にあたるんじゃなかろうか、と、ふと思った。