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私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

自分の中の闇を受け入れることでヒトは人間へと進化する

雑記

今朝たまたまLINEを開いたら、LINEニュースの覧にゲスの人が出ているのが目にはいった。

「この人、、、バカなのかなぁ?」

そう思いながらケータイを閉じた。

 

以前、男友達に「男を取っ替え引っ替えしてから。」と言われたことがあるのだが、私としては取っ替え引っ替えしてるつもりは全くなかったし、こんなところで書くことではないけれど、今まで付き合った人にはほぼ〝浮気をされて別れる〟というパターンだったので、私の視点から言わせてもらうと「あぁ、またダメだった。」と相手に対して見切りをつけたまでである。

まぁ、浮気というのはされた方にも原因はあると、私は思っている。

彼らにとってはつまらない女だったのだろう。

そしてそんなつまらない女につきあった彼らもまた、ある意味つまらない男だったのだろうと思う。

それらの関係において「信頼」なんてものは一ミリもなく、互いに仮面を被り、表面をなめ合うような口ばかりの「信用」にすがりついていたように思う。

 

先に出た男友達は、「男は浮気をするもの。だからその場(飲み会など)にタイプの子がいたら、どうなるかわからない」みたいなことを堂々と言っていたけど、「キミ、、それはちょっと違うんでないかい??」と思ったが私は何も言わなかった。

私は〝ゼロに限りなく近く浮気をしない人たち〟を知っている。

なぜこのような表現をしたかというと、この世の中には「絶対」はないと個人的に思っているのだが、私がみたところその人たちには「絶対」を使っていいほど浮気をしなさそうなのだ。

 

こういった話をしていると、よく「生物学的には〜」なんて言い出す人がいるけど、それを言うのなら何故人間だけに理性というものがあるのか?を考えたいところ。

人間というものは、本能と理性のバランスで成り立っているように思う。自分の好き勝手するのが本能が優勢になっている状態であり、他者に対する尊敬なども少なくなる。自分さえよければいいといったように。

本能と理性のバランスが取れていれば、自分の好きなことやそうでないことが分かっており、そうなると必然的に他者の在り方も認めれる。自分の持つ力を把握していて、それを出すところ、引くところの使い分けもちゃんと出来るようなイメージ。

 

こういう風に考えてみると、「浮気をする人」は本能が優勢になっており、理性的な面を養えばバランスが取れる。他者の中に嫌な部分があることと、その人の「存在」というのは別物だということが分かれば、他者との付き合い方も変わってくるだろう。

逆に「浮気される人」は理性が優勢なんだろうと思う。自分の中の抑えられた本能の部分をちゃんとすくい取ってあげることで、自分主体に行動することができるようになれば、自分の中の温もりを感じとれるだろう。

 

まぁ、全くの個人的な解釈ですけどね。

 

ちなみに、新しいモノ好きな人は本能優勢なんじゃないかと、わたくしは思っております。