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私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

リアル織姫と彦星

地球には約73億人の人が住み、その大きなまぁるいものの表面にちりばめられた私たちは、近くの人や遠くの人など様々な場所の中から「1人」と出会い、生涯を共にしながら愛を育んでいく。

 

世界は拡大のスピードを上げ、昔では当たり前だった多くのものが今では意味を持たなくなり、古くなったものは捨てられ、また新しいものが生まれ続けている。

 

「恋愛」の価値観においても同じことがいえる。

昔はジェンダー(社会的な性別)問題のタブー視が強く、カミングアウトできずに自分の想いを抑えつけながら生きる人は、現代以上にとても多かっただろう。

 

昨今ではメディアでもそれ(性のボーダーレス)を全面にアピールし、あえてそこを売りにして活動している著名人も増えたため、「あぁ、あのゲイの人ね」とか「レズカップルなんだ〜」などと、言葉としてジャンル分けはあるものの、意識の上ではお茶の間の年配層にもわりと滑り込むようにして浸透し、「だんだんボーダーレスな世の中になってきたなぁ」と感じる。

 

そんな世の中になってきたというのに、私たちはまだまだ「普通」というものにこだわってしまう。

 

「恋愛」(もしくは結婚)イコール、こういうもの。という意識が強すぎるのだ。

 

 

先日、恋人と遠距離をしている友人と話していた。

私たちの「恋愛」が少し特殊なため、なかなか周りの人に理解を得られない。だから自分からわざわざ話しはしないんだけど、やっぱ聞かれたら答えるし、答えたら答えたで「それ、大丈夫なの?」みたいな事を言われ、「あなたのために」といういらぬ世話の「私のため」の価値観を押しつけられたりする。

 

「恋愛」と一言で言っても簡単には説明できず、恋人達の数だけストーリーがある。

それを、ある程度分かりきった型枠を求めて、何が楽しいのだろうと思わずにはいられない。

 

ある程度分かりきった型枠とは、例えば、「恋人同士になったら連絡は毎日する」とか、「デートは所謂デートスポット的なところに行く」とか、恋人だったらこうする・こうしてくれるはず。みたいなものだ。

 

たしかに私も、以前はそういった意識で恋愛をしていたこともあった。だけど、どこか中身がないような、ふと虚しくなるような感じがしていて、今となってはあの時はかなり無理をしていたんだろうなぁとわかる。

 

ただ「恋愛」というものをサラッと撫でるように楽しむだけで、肝心の「相手」のことを、なにも見ていなかったのだ。

 

 

すこしわたしの話をしよう。

いまお付き合いしている恋人とは、車を30分ほど走らせれば着く距離で、お互いちゃんとシングルなのに、会うのは四季折々ほど。連絡もお互い気が向いたらという感じで、私も特に用事がないので、毎日の生活の中で見た面白かった写真とか、ちょっとだけ心が動いたものを、投げっぱなしの自己満で送ったりしている。

そして向こうからも、気が向いたらそれに返事がやってくる。

手紙(メール)はほとんど食べられていることが多い。

 

「特に用事がない」と言ったが、別に会いたくないわけじゃないし、ふと何してるかなとかも思い浮かぶ時もあるが、何せお互い極度の面倒くさがりだし、短パンは履くけども「いま会いたい!すぐ会いたい!砂漠の真ん中で!」と叫んだところで迷惑がられるのは目に見えて分かっているので、ポワンと思い浮かべるまでにとどまる。

電話恐怖症なので、電話をして出なかった時の心の折れ方が半端ないので、電話もしない。というか、何を話せばいいか分からないし。

 

 

彼には大事にしている趣味があり、その趣味は私もかじったことがあるので、「なんとなくこんな感じなんだろうな」というのが想像できる。その趣味、彼の性質、仕事、などを考えたときに、会うペースが四季折々になってしまうようなことも、なんとなく「まぁ、しゃーないわね」となってしまう。

 

こういうと「聞き分けのいい女」のように思うかもしれないが、そうではない。私だって「ここは言っておかないと」という部分は釘をさす。

 

遠距離をしている友人が、「恋愛の価値観を大事にしたいんじゃない、自分や相手の価値観を大事にしたいんだよね」みたいなことを言っていて、まったくその通りだよって思った。

 

当人にしか分からないものが確実にあって、そのおかげで私たちはお互いを磨き、愛を見つけることができるのだ。

 

 

最後に、昨日は七夕だったということで、天に便乗したわたしの祈りを俳句にして、終わりにします。

 

 

『できるなら 月1くらいは 会いたいな』地上の織姫