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私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

小学校の引き出しの奥に挟まったカビの生えたパン

ある時、いろんなところで拾い集めた〝名前シール〟のおかげで私の中身はパンパンになり、爆発した。爆発といってもすかしっ屁くらいなんだけど。

耐えきれなくなった皮膚の裂け目から、プッスぅ〜と何かが漏れ始めた。

「まだこんなもの持ってたのか。」と、押入れやタンスの奥にぐしゃぐしゃになって腐っている何か。小学校の頃の引き出しの奥にぺったんこになって挟まった、カビの生えたパン。

もちろん今書いた話は比喩なんだけど、しかし私たちはこのカビの生えたパンのようなものを何枚も引き出しの奥にしまいこんでいる。

たまに見つけても、「捨てるのが面倒だから」とまた奥に押しやる。見なかったことにして。

 

わたしたちは循環の世界に生きている。

あらゆるものは常に流れていなければいけない。

たまに止まったら死ぬみたいな人がいるけど、そうじゃなくて。

止まり続けるためには動き続ける必要がある。

 

ものが見えるのはそれらが常に変化しているから。と、何かの本で読んだことがある。

光が当たれば影ができ、それは数秒前にあったものとは別のものとなる。

 

多くの人は過去か未来に生きているため、ミクロな世界の変化に気づかず、「昨日まで普通だったのに今日突然」なんて言い出す。そんなわけがない。

突然旦那が家出したなら、そうするだけの理由が小さく、そして大きく積み重なっていたのだ。そしてその〝突然〟という点が、臨界点になっただけなのだ。

 

私たちはコロコロ変わって当然の生き物だ。

自分の中の臨界点を迎えると、必ず何かを捨てなければならなくなる。それは人によって違うのでここでは書かないけど。

 

「私はこうだからこのままを受け入れて」という人がいる。恥ずかしながら私もそんな時があった。自分が変わることを放棄し、他人をあげつらってばかりいた。

自由を求めながら自ら檻に入っていたのだ。

 

 

『人は結婚する時、10ずつ持ったものを20にしようとするから失敗するんよ。10ずつ持ち寄ったら5ずつ捨てて、10にせな。』と、酔っ払った恋人が話しているのを、伸びかけた坊主頭のもみあげを見つめながら黙って聞いていた。(ふーん。たまにはまともなこと言うやん。)

 

悩みがなさそうね。とよく言われるけど、私だって悩む時くらいある。

でも、悩むより考えるようにシフトすることを覚えてからは、悩みを持ち続けるようなことは減ったかもしれない。

結局のところ、「どうしたいか」を決めないと先には進めないのだから。

 

 

子供の頃から生パンが好きだった私は、給食で出ていた透明のビニールに入った二枚の柔らかいふわふわのパンを残さず食べていた。当時、あのパンを「多すぎる」とか「生パンとか嫌だ」とか言って文句をいう子がわりといたが、私はその気持ちがわからなかった。

おかげで卒業するまで引き出しの奥にカビの生えたパンを挟むことはなかったのだけど、大人になった今、もしかしたらまだ何処かにカビの生えたパンのようなものを挟んだままなのかもしれない。