読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

生活が苦手な人

星野源の、「そして生活はつづく」という本を読んだのだが、その中に「私は生活が嫌いだったのだ。できれば現実的な生活なんか見たくない。」と書いてあって、ギクリとした。

わかる。そして、分かってしまった自分が辛い。


かろうじて料理は好きだ。何故なら、何かを作る作業だから。 

「無い状態から作り出す」という作業が好きなので、料理はスタンダードから冒険まで色々挑戦したりもする。

店で食べた美味しかったものを、思い出して再現したりもする。

踊りながら料理をする。楽しい。


だが、片付けが嫌いだ。嫌いすぎる。

さっと片付けちゃう人が羨ましい。


しかし、時と場合にもより、例えばたまたま友達が遊びに来てご飯を振舞ったりした場合などは、サッと片付けることが出来る。


だって、おしゃべりしてたら手が勝手に動いてくれて、いつの間にか終わっているから。


だが残念なことに、うちには友達というか人が来ることがないので、私の片付けはダラダラと一向に進まない。


ジャーっと食器を水に浸し、洗おうとするが、急に「やだ!今はこれじゃない!今はコーヒーが飲みたい!アイス食べたい!ゴロンと寝そべりたい!」というふうに、作業を中断して思うままの行動に移ってしまう。

「水につけてた方が汚れ落ちるしね」とかおもいながら。


またある時、お風呂場の電球が切れてしまった。

電球が切れたとき、「あぁ、私はこんな高いとこの電球を替えなくちゃいけないのか。」とおもった。


そりゃそうだ。そんなこと当たり前の事なのだが、引っ越しをして電球が切れるまでの間、私は「電球が切れる」という現象を忘れてしまう。

私の中では『電気はお金さえ払っていれば、ずっと供給(点灯するまで)されているもの。電球?替えなきゃいけないの?』みたいな感覚があり、しかもそれをいつも忘れてしまうので、電球が切れるたびに「あーー。切れてるーー。買いにいかなくちゃーーめんどくさいー。」となり、しまいには「ま、いっか。電球の一つや二つ切れたって死なないっしょ。」となる。


すべての最終的な結論が「死なないから大丈夫」に落ち着いてしまう。


お風呂場の電球に関しては、「暗いまま入った方が癒されそう」という方向に持って行き、何ヶ月かそのまま過ごした。


そしてある日急に「そうだ、お風呂場の電球を替えよう」と思い立ち、電球を替えたのだが、電気をつけないまま風呂に入る感覚に慣れてしまい、むしろつけない方が心地よくなってしまい、スイッチをパチンとする動作がめんどくさくなってしまった。


家に帰ると料金支払いの請求書が届いている。それを見るなり、「明日でいいか」と思いながらカバンに放り込む。そして忘れる。


以前、電気料金の支払いを忘れすぎていたため、帰宅すると電気が止められていたことがあった。

帰宅した時間が遅かったため、「電気がつかないくらい大丈夫っしょ。キャンドルあるし。冷蔵庫も特に困らない。明日でいっか。」と思いながら、前にコストコで買っていた100個入りのティーライトキャンドルを出し、「いよいよ使う時がきた」と若干ワクワクしながらキャンドルナイトを楽しむことにした。


そして風呂に入り、シャワーを出すが一向にお湯が出ない。


「マジか。。。」と私は悟った。


やっぱ今払いに行かなきゃダメだ。そして風呂は温泉に行こう。

と、また〝温泉に行けること〟にワクワクしながら、とりあえず先にコンビニで支払いを済ませ、風呂屋に行きながら電力会社に電話をし、なんとか帰る頃には通電してもらえるようになった。



洗濯。

洗濯は洗わないと着る服や下着がなくなり困るので、ちゃんとする。

だが、たたむのがすごく嫌だ。


子供の頃、兄弟四人で毎日の洗濯当番があり、学校から帰ると宿題と洗濯物たたみというダブルパンチがあった日には家出したくなるほど嫌だった。


洗濯物をたたみはするが、例えばTシャツが裏返しのままだと、それを裏返してたたむのが物凄くめんどくさいため、そのままたたむ。だって、どうせ着るとき裏返すし。


しかし、そんな感じなので、年に一回くらい裏返したまま服を着てしまい、そのまま仕事に行ってしまったことが何度かある。



いまコレを書きながらふと思った。

「わたしが一番残念な人なんじゃないか」って。


まぁ、大丈夫。死なないから。



そして生活はつづく (文春文庫)

そして生活はつづく (文春文庫)