私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

自分を大事にするということは嫌われる勇気を持つということ

 

過去記事「イケナイ恋『不倫』を解剖してみた」にも書き記したが、

 

saihate.hatenablog.com

 

当時28歳だった私にやってきた出来事は大きな転機となり、それまでの価値観や世界の見方、捉え方などを大きくぶち壊すキッカケとなった。

「人生は学び」とはよく言うが、本当にその通りだと思う。

最近では時間の流れさえ逆向きに(そもそも方向などないのだが)流れていくようになった。このことはまた別にちゃんと書こうと思う。

 

実際私がどんな風に価値観のブレイクスルーをしてきたのかを、すこし思い返してみた。

 

嘘をついていた

ある時私は突然、「お前は嘘をついている。正直になれ」と言われた。

そう言われた時、私は自分では嘘をついているつもりもなければ、隠していることもないと思っていたので、なんのことについて言われているかがさっぱり分からなかった。

聞けば、「心と言葉が一致していない」みたいなことを言われたような気がする。

 

その瞬間は考えてもよく理解できなかったのだが、すごく気になったので自分なりに内省してみることにした。

そしたら、それまでの私の言動や行動は「嫌われないように」また、「相手を傷つけないように」というものが先にあり、それを基にした自分の考えや言葉や行動を発することが〝普通のこと〟だと思い込んでいた。ということに気づかされた。

つまり、「やさしい嘘」というものである。

この「やさしい嘘」というものは多くの人が普通に何の疑いもなく使っているが、これは全く建設的じゃないし、むしろ人間関係においてのストレス要因の多くはここなんじゃないかなと、わたしは思う。

 

親が子供によく使う「また今度ね、明日ね」などは私たちが受ける一番最初のやさしい嘘であり、自分の都合を押し付ける言い方でもある。

子供がいつまでも素直で、親子の関係が抑圧的でない家庭を見ていると、親自身が子供に対して素直であり、この部分でわりとスムーズなコミュニケーションが取れているように感じた。

例えば、親が疲れていて子供を相手してあげる余裕がない時などは、「忙しいから」などと言わず、素直に「ママは今日お仕事で疲れちゃったから、元気になったら遊ぼうね」とか、「今日は出来ないな。はっきり決めれないけど、明日出来るようにママも頑張るね」といった具合に。

「忙しい」が理由じゃないことは子供はちゃんと見抜いているので、大人のささいな嘘が積もり積もって「言っても聞いてくれない→諦め→自己主張をしなくなる」となる傾向にある。

 

境界線を引く

嫌われるのを恐れてやってしまう行動に「頼まれたら断れない」というものがある。

これは過去記事「我慢強い人」にあたるものなのだけど、いま抱えている仕事量をこなすのも大変なのに「ちょっと頑張ればなんとかなる」という風に、自分のキャパオーバーに気づかず、頼られることに自分の存在価値を置いているがために、なんでもハイハイ引き受けてしまう。ノーと言えない。

 

saihate.hatenablog.com

今日たまたま、「〝上司〟という立場を良いことに、なんでも上から目線でものを言う。現場はすでに手一杯なのに〝上からの指示だから〟というだけで部下に仕事を垂れ流しにする。そして自分は何もしない。」という話を聞いた。

「何で出来ないって言わないんですか?」と尋ねると、「みんななかなか言えないから、我慢してやってる。おかしいでしょ?」とその人は言っていたが、わたしは何もおかしいことはないと思った。

我慢して仕事をこなしていれば、「言えばやってくれる。」と上司は思うだろう。

「私だったら『現状その仕事を受け入れるのは難しいので、〇〇さんの方でお願いしてもいいですか?』みたいな感じで言いますね。」と云った。まぁ、なかなか言いづらいのはわかりますけどね。と添えて。

 

現象にはほとんどの場合、2:8程度のばらつきがある『2:8の法則』というものがある。パレートの法則ともいう。

パレートの法則 - Wikipedia

 

先の現象でいうと、仕事をしない上司2:無理する部下8、みたいな感じ。たとえ一対一だとしても、パワーバランスもこのくらいの比率になっているんじゃないかなと、いろいろ観察してきた上で私はそう感じた。

 

私の場合の解決方法

私の場合、ブレイクスルーをきっかけに『自分にとって嫌なことが起きたら、周りのせいにするんじゃなく、自分の中のどの部分がこの人(あるいは現象)を引き寄せたのか?』を時間をとって探るようになった。

それまでは「あの人のせいでこうなった」や「こんなことが起きたから私はこうなった」などと、すべてを自分の外側のせいにし、〝自分で責任を取る〟ということをしなかった。

それはきっと、正直にできないことを認めれない恐れや、言って〝嫌われたくない〟という恐れが私の中にあったのだと思う。

 

ある友達と会っても以前より話が合わなくなってしまったなら、無理に会う必要もない。恋人や旦那が話を聞いてくれなければ、他の話を聞いてくれる友人をその時は選べばいい。自分から連絡しないって言った友人のことが気になれば、素直に〝最近どう?〟って聞けばいい。全てが(好みや思想などが)自分と一致しなくてもいいし、そんな人は世界に一人もいないだろう。

自分が勝手に相手に期待するから、無駄に我慢したり喧嘩したりするハメになる。

仕事をしない人がいる職場には、大抵、仕事をしすぎる人がいる。

支配欲が強い人の周りには、何も言えない人が集まる。

 

思いやりの使い方

誰しもが皆、誰かに嫌われたくないのは当然のことだ。だけど、「嫌われたくない」が前提にある時、そこに生まれるコミュニケーションは薄っぺらいものとなり、一時しのぎにはなるかもしれないが、結果嫌われることになってしまう。それと同時に自分自身の中ではかなりのエネルギーを使うことになる。

 

思いやりというのは、嘘をつくことに使うのではなく、〝伝え方〟に使ってみてはどうだろう。その方が良質なコミュニケーションになるし、無駄に我慢とか喧嘩とかをしなくて済むんじゃないかなと思う。

 それと同時に、自分自身にも思いやりを向けないといけない。

あなたに大事にされたいと願っているのは、本当のところ、あなた自身なのだから。

 

拒否されることを恐れ、見捨てられることを恐れ、自分が孤独になることの恐れなどからいい人を演じていると、最後にその人がもっとも恐れた事態に陥る。つまり、ひとりぼっちになってしまう。周囲の人は、その人が犠牲を払いながら、無理してそれをしているとは思わない。犠牲を払っている人は、相手は自分の犠牲をわかってくれると思っている。しかし、誰もわかってはくれない。

『淋しい人ほどいい顔する』(加藤 諦三 著)

 

淋しい人ほどいい顔する  ~人生がうまくいく人間関係の整理法~

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嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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