私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

映画「50/50」に見る『正直に生きる』とは

生きてるうちに一度は観て欲しい映画の一つ、「50/50(フィフティフィフティ)」。

 

酒もタバコも薬もやらない、きれい好きで真面目で運転免許を持たない男アダム(ジョゼフ・ゴードン=レヴィッド)は、ある日腰の痛みを感じ病院で検査したところ、5年生存率50%の脊髄癌であることを宣告される。

アダムは彼女のレイチェル(ブライス・ダラス・ハワード)に「別れたかったら別れてもいい。僕は別れたくないんだけど。」と伝えるが、レイチェルは「私が世話をするわ。」と言いながらも本音は言葉とは裏腹に、病院の迎えをサボったり浮気しちゃったりする。

そんなアダムを心強く支えてくれる親友カイル(セス・ローゲン)という男がいて、このカイルのおかげと言っちゃなんだけど、この一見お涙頂戴難病もの映画が少しだけコミカルに映っている。

 

レイチェルのわがままを全て受け入れているアダムがいたり、「癌を持ったアダム」になった途端にアダムとの距離を置くようになったレイチェルがいたり、子供を助けたい一心で自分を見失ってしまい、自分が欲しいもの(冷房を弱めて。とか、癌の子供を持つ親の会に入ったり。)が分からなくなっちゃったアダムのママがいたり、まだ死んでないのにもう死んだ人を見るような扱いをしちゃうアダムの会社の人たちがいたり。

そんな彼らを一掃するように、親友のカイルはこの物語の中でとても素直に生きている。(アダムの病気を利用して女の子をナンパし、セックスがしたいだけなのかもしれないけど。しかし、それに対しても素直なのだ。)

 

レイチェルの浮気現場を目撃したカイルがアダムに言いつけ、「前からお前のこと嫌いだったんだよ!!」とレイチェルをなじるシーンは、正直観ていて気持ち良かった。

「私もお前の前髪の払い方が気に食わなかったんだよ!!」と一緒に叫んだ。

 

そんな自分の周囲の出来事への言い分も口にせず、世界を静かに見つめてきたアダムだが、ついに抑えていた何かがブチ切れる。

 

癌になったアダムと、彼を取り巻く周囲の人間の、静と動のバランスも「50/50」のようにわたしは感じた。

わたしも事実、闘病中といえば大げさのように「わたしは勝手に感じている」(私から見たら元気そうだから)けど、癌の身内がいる。多くの人はその事実を知ることで、当人との接し方がそれまでとは変わってしまう。それは仕方のないことだと思う。

だけどみんなやっぱり「生きて欲しい」と願う、その気持ちには変わりない。そこだけは。

これがただの風邪だったら、どう接するか。

きっと、食事をちょっと気にかけたりするくらいで、風邪にはこれがいいから、熱を早く出すためにこうしなさいだとか、あまり押し付けるようには世話しないんじゃないかな。

だって、風邪で死ぬとか思わないから。

 

「失って初めてわかる」なんて安っぽい言葉はもう終わりにしませんか。

 


映画『50/50 フィフティ・フィフティ』予告編