私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

避けてきたことについて考えてみた

最近、同居している猫の尻の穴に「ふっ」と息を吹きかけ、尻の穴がキュッとなって「なにすんのさ」と言いたげな猫の顔を見るのがマイブームな、マスミです。

 

わたしが今まで生きてきた中で「これだけは無理だ」と、徹底的に避けてきたことがある。

 

それは、学校のプールの授業。

 

「生きてきたなかで」とか大きく言いながらも、強制的に人生の前半で終わるものなんだけど。

 

クラスの中で何人かは泳げない子はいるが、その子達よりも遥かに「泳げないレベル」が高く、何をどうやっても浮かないし前に進まない。

 

時は小学生時代。前歯が抜けいても、気にせず満面の笑みで写真に写っていた頃。

小柄で人気者でスポーツ万能、走らせたらめちゃくちゃ足が速いA君という男の子がいた。

何をさせても大体軽々とやってのける彼にも、ひとつだけ不得意なものがあった。

 

 

水泳だ。

 

最初、彼も「泳げない子」の中にいて、そのなかで泳げなさを競っていたが、ある時彼がスイミングに通いだしたという情報をキャッチした。

 

な、、!抜けがけやんっ!

 

彼は運動神経に自信がありながらも、「水泳だけが出来ない」ということがとても悔しかったんだろう。スイミングに通いだした彼はみるみるうちに「泳げるコース」へ行き、泳げるなかでも上級者コースへとあっという間に進んでしまった。

 

でも彼は優しかった。

「ヤマグチ!競争しようぜ!」と、泳げないわたしに泳げる楽しさを教えてくれようとしたのだろう。そのときの彼の言葉は、とても嬉しかった。

だが、それと同時に、すこし迷惑だった。

 

だってわたしはまだ「泳げない子」たちの中でも下の下に、ぷかぷかと浮いている。

 

「もう、わたしを置いて先へいってくれ。」

そんなふうに思った。

「うみに捨ててぇ〜っ!」とわたしの心の中のシータが叫んだ。

 

最初は見捨てずに見守っていてくれた彼をよそ目に、わたしは泳ぐ気が皆無に等しく、彼はだんだん遠くへ行ってしまった。

 

わたしはクソだ。

 

小学生のうちはまだ泳げないコースでぷかぷか浮いていても、先生も何も言わなかった。だが、中学生になるとそうはいかなかった。

 

中学生になると教科担任となり、教科ごとに専門の先生になる。体育の先生というのは、どうしてあんなに非情なんだろうか。

 

「泳げません。」と言っても、「泳げ。」としか言われなかった。

 

中学生にもなると女子達はマセてくるので、「水着になるのやだぁ〜♡」なんていう声も聞こえてきたが、わたしはそれどころではない。水着になるのはどうでもいい。わたしがもし泳げたのなら、どんな水着でも着てやる。むしろ、裸でもいい。とは思わなかった。

それくらい、わたしは夏場になると無駄に切羽詰まっていた。

 

そこでわたしはこの中学生のサマータイムをどう潜り抜ければいいか考えた。

 

見学しかない。

 

その夏、わたしは女子という立場を大幅に利用し、生理で一週間稼いだ。残りはどうしよう。と思っていた矢先、クラスメイトが「結膜炎です」と言っているのが聞こえてきたので、「わたしも結膜炎です」を使った。

 

神はいる。わたしはそう思った。

 

そうして中学生ライフは生理と結膜炎、たまに腹痛をうまく駆使し、どうにか切り抜けた。

 

わたしは高校を選ぶ基準として「マラソン大会がないところ」にした。噂では、ある高校は「女子は4キロのマラソン大会が毎年の行事」と聞いたので、誰が好き好んで4キロも走らないかんのよ、と思い、私が行ける高校の中からマラソン大会がないところを選んだ。

 

だが、わたしは自分のリサーチ力の甘さを悔やんだ。プールがあるではないか。しかも、苔の生えたきったないプールが。

もちろん、高校も例のワザを使ったが、高校は見学中はただの見学ではなく校庭を走らされた。

(チッ…せっかくマラソンがないと思ったのに。まぁ、泳ぐよりはマシか。)

 

これで高校生ライフはうまく切り抜けた。

 

 

……と思ったら甘かった。

 

先生『見学者は夏休みに補講に来るように。』

 

もちろんわたしはその補講も徹底してサボり、体育のうるさい先生と出くわすのを避けるため、その先生が朝の挨拶活動で校門に立つよりも先に校門をくぐるためだけに、残りの高校生ライフを無駄に朝早く登校するハメになったのであった。

 


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