私の中のワタシを忘れるために

錠剤は一粒ずつしか飲み込めない人が書くブログ。

好き嫌いがはっきりしている話

とりあえずいま、アイフォンの充電が6パーしかないけど、思い立ったので書き始めます。

 

今日は仕事終わるのがおそかったので、近所にある遅くまで開いていて気軽に入れる〝や◯い軒〟に寄って晩御飯を済ませることにした。

 

ココは食券システムなので、店内に入る前にまず食券を買わないといけない。食券機が二台あるのだが私が入ると二台とも鈍臭そうな夫婦が陣取っていて、あぁでも無いこうでも無いとダラダラと選んでいた。

 

私は絶好調にお腹が空いていたし、一日中働いてきた疲れもピークに達していたため、「はよせぃや!!!」と叫びたいところだったが、一応大人なので、そこはグッとこらえた。

 

ひとりのババアは「こっちよりこっちの方が量があって安い」だの「チゲかぁ〜〜最近辛いのダメなのよねぇ〜〜」だのとぶつぶつ言いながらダラダラしていたので、「お前のチゲのこととか知らんわ!」と叫びたいところだったが、これでも大人なので、小さく舌打ちだけにしてみた。

 

腹が減ってるのだよ。

 

やっとこさひと組のババアたちが退いたので、私は最初から決めていたチーズハンバーグ定食の食券を買った。雑穀米に変更して。

 

やっとたべれるぜ〜〜と席についたとき、ふと先程のババアたちが何故あんなに「自分が食べたいものが分からないのか」を考えてみた。

 

わたしの場合、何か食べに行くときはあらかた「何の気分か」が決まっている。それは食べたいものの種類に限らず、もし誰かと行くならその人とのシチュエーションを含めた雰囲気を考えるし、ひとりなら、まず何を優先するか考えながらその中で食べたいものを決める。

 

例えば今日なら、

・夜9時以降

・なるべく人の手が作ったやつ

・米

・さっと食べて帰りたい

・猫のご飯も買わなきゃ

 

という要因があったので、トータルで出来る限りそれらの要因を満たせるところが〝やよい軒〟だった。

あ、◯にするの忘れた。もういいね。

 

私の場合、こうして優先順位を決めて行くと行くべき店が決まり、店が決まれば「あそこならアレを食べよう」が絞り出される。

そして大体席に座る頃には選ぶメニューは決まっている。

 

服を買うのも早い。

私が服を買おうとするときも、食べ物と同じで、「色は何系、サイズ感はこれ」とか、「色は黒で変な服」みたいな感じで大体のイメージを決めていく。

すると、不思議とイメージに近いもの、或いはピッタリなものがあり、店に入って最初からそれがそこにあるのを知っていたかのように華麗にサッとレジに持っていく。あまりに早すぎて店員さんに「はやっ!」っと突っ込まれそうなレベルである。

 

こういう買い物が何故出来るかというと、自分の体型のメリットデメリットを知っていて、似合う型似合わない型(例えば太って見える襟の形、とか。)を把握していて、それを基準にあとはその時の気分の色などをチョイスすればいいことを分かった上で買いに行くからだと、わたしは思っている。

だから、自分の服を自分で選べない人の気持ちがよく分からない。

(こだわりのない人と選べない人は違います)

 

これは人間に対してもあるかもしれない。

わたしは、好きな人種と興味の無い人種がはっきり分かれている。

好きな人種は、深みのある話が出来る、かつユーモアも感じられる人たちだ。

単に真面目な人間や薄っぺらい話しか出来ない人間にはあまり興味がわかない。

例え答えが出ないとしても、自分の言葉でディベートできる人は、人間的に興味がわく。そこにその人だけのオリジナリティが見え隠れするからだ。

 

好き嫌いがはっきりしている、とか言いながら、たまに「何でもいい」という時がある。

つまりその時一緒にいる相手に対していう場合なのだけれども、この「何でもいい」をもう少し詳しく説明すると、「あなたの選ぶものは私が選ぶものと似通っているので、それならば今はあなたが選ぶものを優先していいですよ。それはあなたが心地よくいれるであろうから、私もあなたにそうで在ってほしいんです。それに、たまには自分で選ぶよりもあなたが選ぶものによって、何か新たな発見や面白い展開になるかもしれないじゃないですか。いまはそんな気分です。」

の、『何でもいい』なんです。

 

 

 

 

愛でる話

むかし、ひょんな繋がりで出会ったいわゆる「視える人」に、言葉通り「視て」もらった記憶を、ふと思い出した。

 

そのとき言われた話はほとんど覚えてないけれど、ひとつだけ今でも覚えていることがある。

 

『あなたはもうちょっと自分を可愛がってあげて。愛でてあげなさいね。』

 

はて。「愛でる」とはなんぞや?

当時自分を擦り切れたボロ雑巾のように扱っていた私は、この「愛でる」という言葉も感覚も、まったく知らなかった。

 

「愛でる」とは、愛して大事にすること。と、ぐぐったら書いてあった。

愛の基準なんて人それぞれだとは思うけど、今の私にとって「愛」って、その対象の存在を生かしてあげることかなぁとフンワリ思っている。植物ならその植物が気持ちよくいれるように、動物や人でも同じく、これらに共通するのは「付かず離れずの距離感で大事に取り扱う」みたいな感じかなぁ。

 

先の話に戻る。

自分を愛でる、となると、自分という対象を愛して大事に取り扱う。となる。

すると、この「自分」を対象としてみるには「自分となにか」で見る必要がある。

ここでいう「なにか」とは、自分の中の核みたいなもんだと思うけど。

自分を、付かず離れずの距離で大事に取り扱う。

そうだね。

くっつきすぎたら傲慢になるし、離れすぎたらささくれになってしまう。まぁそんな感じだろうと思う。

 

今現在の自分を愛でれているかというと、自分で言うのもあれだけど、けっこう愛でてる。

昔ほど変に我慢をしたり、ボーダーライン超えるほど頑張ったり、気分のムラもなくなった。

自分が心地よくいれる人を選べるようになった。自分と他者の色々な線引きが出来るようになった。敏感すぎる自分の性質をプラスに使えるようになった。

ずっと普通。普通が一番。

 

自分を大事にしだすと、自分以外の人やモノの扱い方が変わってくる。

大切にされると心地よい事がわかるから。

そしてそれを相手にも味わってもらいたいから。

だから、「尊重する」の意味がわかる。

「あなたが心地よくいれる選択が出来るようにサポートするよ。」って感じ。

 

 

余談ですが。

愛でるついでに言うと、私は寒くなると布団とコタツをめっちゃ愛でます。

布団は一式モフモフ仕様にするから、布団も味わいたいし、コタツも味わい方に段階があるから、冬は時間配分が難しいんですよ。

 

 

以上、現場(布団)からお送りしました。

 

 

 

割れて、壊れたものの話

さぁて。今日で一週間経ったから、ブログに書きとめておこうと思う。

なにが一週間経ったのか。

それは、あるものが壊れてからだ。

壊れて、というか、割れて、と言った方がいいのかもしれない。

その、「割れて、壊れた」ものがまだ「割れて、壊れてなかった頃」の話をしたい。

 

ある日、私が住んでいるぼろアパートの隣に一人の女性が越してきた。歳は40代はじめ〜半ば頃だろうか。見た感じ冴えない雰囲気の、普通の女性だった。

 

それと同時に、その女性の部屋の玄関の外の横っちょの方に、わりとサイズ感のあるお雛様とお内裏様のワンペアがモヤモヤしたオーラを醸し出しながらジッと佇んでいた。

それだけでなく、そのワンペアの後ろには今にも走り出しそうに前足を跳ねあげた馬の置物と、馬よりも一回り大きいサイズのフクロウもいた。現実になるとそのサイズの対比は明らかにおかしい。フクロウが一番デカイんだから。

 

そいつらはみんな、おそらく陶器で出来ていて、よくおばあちゃんちの玄関とかにズラッと並んでいる、タンスにゴンと線香の匂いしかしなさそうな奴らだと思ってもらって構わないと思う。

 

もうすでに存在感からおかしいのだけれども、なぜそのような本来なら家の中にありそうな置物たちをわざわざ外に並べているのか。なぜお雛様セットと馬とフクロウなのか。色々なことが謎すぎる。

もしかして、魔除けなの?とも考えたけど、彼らにはどうにも魔をよけれそうな力があるとは思えない。

女性が越してきてもう半年以上はなると思うが、彼らのフォーメーションは崩れることはなかった。

 

だが。

一週間前、私が仕事から帰ってきて玄関に向かう途中、ふと視線を落とすと、破片がちらばっていた。

 

お雛様が粉々に割れてちらばっていたのだ。

 

私は思わず、

「あ……死んでる……。」と声に出してしまった。

 

それから一週間、女性の部屋は電気がついていたり車があったりしたので家にいたはずなのに、割れたお雛様は粉々に散らばったまま、今もなおその状態を保っている。

 

 

そして、割れて壊れたものはそれだけではない。

 

お雛様が壊れたのと同日くらいのある朝。

いつもの集金のオジさんが来たので玄関を開けると、オジさんは集金よりも先に隣を指差しながらこう言った。

「なんか、梅のビンが割れとんよね。すごい匂いがするよ。」と。

 

え?と言いながら外をみると、例の女性の部屋の玄関の横っちょに、ビニール袋に入った自家製梅酒のビンが割れ、そこら辺に梅が飛び散り、潰れていた。

 

えーー?なんで??

と、集金のオジさんと話して、まぁ帰ったら片付いてるやろうと私は勝手に思っていたが、その日の夜も次の日も、また次の日も、割れた梅のビンはその瞬間をキープしていた。

そして今日で約一週間くらい経つのだが、割れたビンもビニール袋に入ったまま、潰れた梅もその場を離れることもなく、いまだに状態を保っている。

 

 

アスファルトからロンドンパンクが聞こえた夜

宇宙は愛で満たされているのかもしれないし、そのことは意識のどこかで理解していることは知っているのだけれど、それをわざわざ「宇宙は愛でできている」みたいなことを口に出して言う人のことを、私は信用したくない。

 

幸せは好きなのに心の何処かでは「幸せになんてなりたくない」と思っているような気がする。

だから私はあからさまに「幸せ」を強調して見せびらかすような行為をする人のことが鼻についてしまう。

もうそれは側からみれば宗教のようで(私は密かにハッピー教と呼んでいる。)、そんなのただ寄り集まって傷を舐めあっているだけじゃないか、ケッ。とか思いながら冷めた目を向けてしまう。かと思えば、そんなに何かに狂うほど陶酔できることを羨ましくも思う。

 

もう何年前になるだろうか、子供の頃から父親のように慕っていた母方の叔父が亡くなった。

その時私はふと思った。

 

「自分が死んでも世界はいつもと変わらずに動き続けるんだ……。」と。

葬式などという非日常のイベントはあれど、それが終わればそれぞれがまた日常に戻っていく。朝起きて、ご飯をたべて、仕事に行って、というような日常に。

当たり前のことなのだけど、少し不思議に感じた。

 

先日、職場の近くで車どうしの事故があったらしい。そして死亡事故だったらしい。らしい、といいながら私はその時現場を通ったのだけど。

まったくどこのだれか知らないし、おじさんかおばさんか若い人かなにかも分からないけど、それを聞いたとき私の中では「へぇ、、」で済まされないものがあった。

その人、朝普通に家から出て、家族がいれば家族もそれが当たり前で、でもその何時間か後に死んじゃったんだ。とか、

事故が起きる数秒前まで何とも思ってなかったんだろうなぁ。とか、

前の日の夜に喋った誰かも、明日その人が死ぬとか思わなかったんだろうなぁ。とか、

来週楽しみな予定が入ってたりしたのかなぁ。とか。

 

私はなぜか、普段から時間を逆回転してしまうクセがある。昔「スライディング・ドア」という映画があったけど、あんな感じで、脳内で時間を巻き戻して別のパラレルワールド的な時間軸を想像してしまう。

 

以前付き合っていた恋人に、当時、何か物事の優先順位について話していたときに「明日死ぬかもしれんから、私はその時最善の選択をするようにしている。」(ここでいう最善の基準は、自分の心に従うという意味。)と話したところ、彼は「そんなこといっても、俺は恐らく明日も明後日も生きてるはずやからなぁ」みたいなことを言っていた。

そこで私は、この人とは生きるペースやベクトルが違うんだなと悟った。

 

別に生きることに切羽詰まってるわけじゃぁないんですが。まぁ、ただ、もし仮に、夜寝て朝目覚めれなくて死んじゃって、数日気付かれなくて身体が腐りはじめて、そしたら猫たちに申し訳ないなぁとか、猫たちの世話は誰かしてくれるだろうかとか、とりあえずその辺はふんわり考えたりもしますがね。

 

まぁ、ダラダラ纏まりのない事を書きましたが、結局のところ最終的に「どうにでもなればいい」っていう選択肢ってけっこう大事なんだなぁと、最近改めて思ったわけです。

 

 

 

味噌汁の食べ方が気に入らなかった話

お久しぶりです。

もうずいぶんと更新していなかったので忘れ去られているかと思いますが、「もうそろそろ時効だから書いてもいいかな?」という話がいくつかあるので、書き留めておきましょう。その中の一つです。

 

以前、SNSで仲良くなった県外(関東)の男性から「福岡に遊びに行くから案内してほしい」と言われまして、遊びに行った時の話です。

 

わりと急な話(来る予定日の1週間前とか)だったのですが、たまたま私の休みと被っていたのでOKしました。が、なんとなく最初から向こうの段取りの悪さにイラっとしてしまう場面もあり、今思えば最初から断るべきだったなぁと思いました。

 

その段取りの悪さとは、「飛行機のチケットは取ったけど宿は取れていない」と福岡に来る日の前々日くらいに言ってきたこと。

 

は?なんで?バカじゃないの?

 

と思いましたね。普通に。

それからネットで宿を探したらしく、空港は福岡なのに、そこから電車で二時間もかかる某ア◯ホテルに取れたと連絡が。

ひとまず安心し、行ってみたいところがあるかと聞いてみたら、「軍艦島に行きたい」と。

 

いや…そこ福岡じゃないし。

恋人とかと行くレベルの場所やし。

まずそこまで車出す気はないわ。(車で約四時間半からの、船で一時間程)

朝何時に出発せないかんと思っとん。

いくら土地勘ないにしてもグーグルで調べてから言えよ。

 

などという私の心の声がそよ風にのってさらぁっと吹いた次の瞬間、「ごめん、それはムリ。島に行きたいなら大島にしよう。」と、最近世界遺産にも登録されたらしい沖ノ島の参拝所がある大島へ行き先を決めたのであった。半ば強引に。

 

大島という島があり、しかもフェリーで30分弱くらいで行けることを初めて知った、私が行きたかっただけなのだが。

そして民宿で海の幸が食べれる。

ということで、福岡は宗像にある大島へ船に乗ってランチしに行くプランに決定した。半ば強行に。

 

当日の朝、彼が泊まっていた某ア◯ホテルに迎えに行き、そのまま大島へ直行した。

 

フェリーというから、よくあるフェリーの感じをイメージしていたら、予想に反してわりと小型の、座席が敷き詰められた船だった。乗った感じもよくあるフェリーを予想していたら、これまた予想に反してかなり揺れるし、船酔いなどしなかった私が吐く一歩手前になるくらいまで酔ってしまった。

酔った私の横に座っていた彼も、ずいぶんと顔が青くなっていた。自分自身もやばいくらいだけど、人に吐かれるのはもっと嫌だ。それだけは勘弁してくれ、と心の中で祈りながら只ひたすら精神を統一していた。

すると、隣にいた彼がケータイを見ながら、先ほど支払ったフェリーのチケット代を家計簿に入力していた。

(いま、付けるなよ。)と、吐きそうな胃を食い止めるために統一している精神が揺らぎながら、イラっとしてしまった。

 

なんとか無事に島にたどり着き、足元もフラフラになりながら船を降りた。

ランチに行く前に船酔いなんてマジであり得ない状況の中で、彼は細やかな「イラつき」というジャブを終始打ってくるのだが、この時私はまだその気配を感じ取れていなかった。

 

予約した民宿はフェリー乗り場まで車で迎えに来てくれるというので、遠慮なくお願いした。

 

客は私達だけだったが、きれいな広い和室に通され、テーブルからは海が見渡せる絶好のロケーションだった。

私はお刺身の定食を、彼は魚の煮付け定食を注文し、1000円にしてはゴージャスなお膳が目の前に用意された。

 

普通に食べていると、彼がおもむろにお味噌汁のお椀の蓋を取り、味噌汁をすすり、またお椀の蓋をしてお膳に戻した。その一連の動作を、味噌汁をすするたびに繰り返していた。

何故そうするのか気になって仕方がなかったので、不思議に思った私は彼にきいてみることにした。

 

「ねぇ、何で蓋をいちいち閉めるの?関東の人はそうやって食べるのが普通なの?」と。

すると彼はこうこたえた。

『味噌汁が冷めるのが嫌なんだよね。他の人はしないけど、特に突っ込まれたことなかったなぁ。』

「いや、味噌汁は冷めるもんでしょ。」と、なんかもうよく分からないけどイラっとした。

 

後日思ったのが、「宿が取れない」とか言ってる段階で気付くべきだったんだなぁと。

あの時わたしの中の神は訴えかけていたのに。

 

何かがスムーズにうまく行かない時は、そのタイミングじゃないか、選択肢を間違えているときなのだ。

 

「おい、やめとけ。時間の無駄だぞ。味噌汁のお椀の蓋でイラっとするぞ。」(by 神)

 

 

ジャストサイズのガラスの靴

注意:この記事は以前、プライベートな場所に書き記していたものですが、もう時効なので公開します。

それでは、どうぞ。

 

 

宇宙の仕組みがわかってくると、人が発する言葉でその人の内側に隠れている、あるいは隠しているものがどんなものかが見えてくるものです。


個人的な話をしますと、わたしは美容師をやっており、昔まだ若い頃に合コンや飲み会に参加していた頃、「美容師をしてます」と云うと必ずと言っていいほど「じゃ、俺の髪今度切ってよ!」という返しがあり、つまりはその言葉の真意を探れば、「俺の家で髪切ってよ!そしてセックスしよう!」というワケだったようです。


いまやいい歳になり、そういった〝若者のノリ〟に遭遇することもほぼないのですが、最近ひょんなことで自分より10程も歳下の若者に誘われることがあり、まぁご飯くらいならと思ってお誘いに乗ったわけです。


彼の住まいが繁華街からわりと近くだったため、お店を選びやすいだろうと思い、そちら方面で待ち合わせをしました。
予め私はお肉があまり得意ではないことを伝えていたのにもかかわらず、牛肉しか出さないようなお店に連れて行ってくれた(というか、彼が行きたかっただけ)けど、あいにく人気店で長蛇の列だったため、他にしようとその場を離れました。

近くには居酒屋やご飯屋さんもたくさんあって選び放題だったのに、彼はそこからまた少し離れたチャンポン屋さんに行こう!と言い出しました。


この時のわたしの脳内はどういうふうになっていたかと言いますと、

「チャンポンかぁ。すぐ時間おわるなぁ。食べたあと何するんやろ。まぁ、どこも行かんなら帰ればいいか。」

みたいな感じでした。 わたしの勝手な予定では、居酒屋でちびちび食べながらおしゃべりして帰る、という感じでしたが、大幅にズレてきました。


チャンポンを食べていると、彼がおもむろに「この店、いっこ前の彼女と別れる原因なんだよね。」と言い出したのですが、実は店に来て何となく見覚えがあったのは間違いないようで、わたしも少し苦い思い出がある店だったのです。
この一見見逃しそうな小さな符合は、見えない何かからの確かなサインだということを、わたしは自分の中で確かめながらそっとポケットにしまうのでした。


「ドンキに行きたい」と彼が言い出したので、「いいよ、行こう。」と内心ホッとしながらチャンポン屋さんを後にし、ドンキホーテに向かいました。
彼は「香水を買わなきゃ」と香水コーナーをぐるっと見ながら「いつもウルトラマリンなんだけど、変えようかな〜どう思う?」ときかれたので、「大人な香りにしたら?」と云いながらざっと見たところ、ドンキの香水コーナーにはもちろんジェントルマンな香りは置いてなく。「わたしはコレ使ってたよー」とプワゾン(ディオール)を指さすと「たかっ!」と言いながら、結局彼は手に持ったウルトラマリンをそのままレジに持っていきました。


ちょうどその日の昼間に会った友人が甘いバニラの香りを漂わせていたので、香水の話で盛り上がった会話を思い出しました。
わたしも友人も香りを大事にしていて、甘いウッディな香りが好みで、好きな人って匂いも関係あるらしいよ、という話をしていたのです。そして、「男の人で安っぽい香りしたら嫌だよね。サムライとか、カルバンクラインとか、あーゆう何の匂いかすぐ分かるようなやつ。」と話していたまさにその香りの中に、ウルトラマリンも含まれていました。
「何の匂いかわかる」ということは、その人の内面もそこにリンクしていると個人的には思っていて。いくら「俺は周りの奴らとはちがって特別なんだ、個性的だし、モテるんだぜ」と口では言っていても、その香水の〝選び方〟が本人の気づかぬところで内面をあらわにさせてしまっているのです。
そう、彼はものすごく自分に自信をもっていて、「今は特定の彼女は作らないけどモテる」だの、「今日会社の女の子に告られた」だのと聞いてもない武勇伝を次から次から教えてくれていたのです。
彼は「歳上の知的な人が好きだけど好かれるのはいつも歳下の頭悪そうで口悪そうなコばかり」と嘆いていたけれど、ウルトラマリンをつけるようならば……それは仕方ないよね。香水だけじゃないけれど、市場価値が伴っていないよ。
しょっぱなから歳上にはゴロゴロ甘えたらいいなんて思ったら大間違い。
わたしの友人でも歳の差カップルいるけど、歳上で賢い女を狙いたい男子は、8頼もしい所、2甘える、くらいがちょうどいいんじゃないかと思います。逆は男がヒモになり、女が主導権握るタイプかと思われる。


香水のくだりも然り、やはり早めに退散するべし。と思ったわたしは、ドンキを出た後彼を送り、両足のガラスの靴をしっかりと履いてるのを確かめながら12時の鐘が鳴る前に家路へ向かうのでありましたとさ。

 

どうしても竹原ピストルが好きになれない

私は普段からテンションが低い。

それはおそらく子供の頃から変わってはおらず、そのおかげで周囲からは「おとなしい人」とされていた。

実のところ、強制されたコミュニティ内に私の興味をそそられるものが少なかっただけのことであって、ある一部では私のテンションが高いときを知る人もいると思う。

他人の愚痴、自慢話、スキャンダル、子供の話(自分に子供がいないから)、などなど、とにかく会話から得られるものがなく薄っぺらいその場しのぎの会話には全くもって興味がない。

興味がない話に作り笑いをしながら偽物のテンションで騒ごうという、その器用さがない。私にはどうしても。

いや、普通そうでしょう。

多くの人が自分の興味ない話で騒がれても、高いテンションをキープしたままついていけないでしょう?

 

そこで、グーグル先生に「テンションの低い人」と聞いてみると、「テンションの低い人が内心思っていること」という項目をあげているサイトがあり、ほぼ頷けるものだったので紹介したい。

 

・十分楽しいのに「楽しんでる?」と聞かれる

これは実体験あり。昔むかし、若い頃にコンパというものに参加した時に、その時にいた男性に言われたことが。まぁ、この時は楽しんでなかったかもしれませんが。

 

・ゲラゲラ笑っていなくても内心めっちゃウケている

これもよくありますね。ふふっと笑っていても、自分的にかなりウケている時があります。でも、ゲラゲラ笑うときもあります。

 

・たまにテンションあげてみると、空気が変わる(驚かれる)

ね、だから嫌なんですよ。テンション上げるの。

 

あと、「テンションが低い人は消極的」とか、「冒険心がない」とか言われますけど、そんなことないです。興味があることには積極的だし、マンネリが嫌いだから常に空気の入れ替えは必要だったりします。

テンションが低い人って、省エネなんだろうなぁと思う。

無駄に疲れたくない。(無理したら疲れるのわかってるから)

他人に合わせたくない(相手にとっても楽しめないことを知っているから)

観察が好き。(相手を知るための手段としての基本)

 

そして、テンションの高い人を観察していて、なんとなく2パターンあることがわかりました。

一つは、「間がイヤなため、無理にテンション高めキープしている」。

もう一つは、「常日頃どこでもどんな時でも〝自分自身〟である」。

さらに、テンションの低い私が、初対面のテンションの高い人と話しても無理なくテンションを高めに持っていけ、楽しめる。という人がたまにいるんですが、その人は後者のパターンだと思います。

 

体育会系のノリの、暑苦しいのが苦手なのか?と考えてみたけれど、アツイのは嫌いじゃないのよね。

甲本ヒロトのアツさはいいんだけど、竹原ピストルのアツさはなんかダメなのよね。

甲本ヒロトの坊主はいいんだけど、竹原ピストルの坊主はラーメン屋なんだよね。