経営者は孤独である
最近よく読ませてもらっているブログで「経営者は孤独を覚悟した方がいい」といった内容が書かれてあって、それを読んだ時私は、自分でも気づいてなかった自分の中の一部分を誰かにやっとわかってもらえたような気がして、ボロボロと泣いてしまった。
経営者は孤独である。
会社というものを抱え、従業員の生活を抱え、悩みがあってもなかなか簡単には口に出せるようなものではない。相手がたとえ家族であっても仕事の責任は自分にあるし、「心配させないため」だとかいう気持ちから自分の中の奥底についついしまってしまうことも多いだろうと思う。
私の場合は26歳で独立し、従業員を雇わず一人でやりくりし、来年で丸10年を迎える。いい時もあればもちろん悪い時もあり、今まで大概色々などん底を味わってきたというのに、まだ神様は私にどん底を与えるのか、と思った時もあった。
独立と同時に親元を離れ、職場も生活も全てひとりになった。人間関係の悩みは減っても他の部分での悩みは尽きず、心配かけまいという気持ちがどこかにあったのか親にも相談できず(そもそも仕事の悩みなんか親にわかるはずもないのだが)、片手に余るほどの近しい友人にもわざわざ言えるわけもなく、ここ何年かでようやく妹に相談できるようになった。
どん底にいるのがわかれば、あとはただ這い上がればいいだけのことなので、「どうにかなるはず」という言葉を護符にどうにかすれば、どうにかなるということがわかった。
私の場合は従業員を雇わず、店を大きくするつもりも全くなく、これからも一人でやっていくつもりなのだが、ふと最近「これは逃げなのかな?」という思いが湧いてきた。
どうやら無意識の中に「一人は逃げ」という意識があったらしい。
人と一緒に仕事をすることからの逃げ、賃金を払わなくていいという逃げ、教育をしなくていいという逃げ、など。
そこで同じ美容室で経営者の友人に「孤独は逃げなのかな?」と聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
「私はあえて逃げてる。逃げるが勝ちよ!」と。
それを聞いて、そうか、と私の中でつっかえていた何かが取れたような気がした。
逃げてもいいんだ。そんな考えはなかったな。自分で認めてなかったんだな。
そう思った時、なんだかとても自由になれた気がした。
自分の意思で選びとってきた孤独をやっと大事に扱えるようになったのかと思うと、なんでも出来そうな気がしてきた。
マニュアル人間
今朝、ふとYouTubeを開くと「あなたにオススメの動画」と書いてある下に、お笑い芸人〝和牛〟の「洋服屋の店員が苦手」という漫才があった。
もう随分とテレビを観てないため最近のお笑い情報にも疎く、今日初めて〝和牛〟を知った。
どんなもんかと思いながら再生すると、思った以上に面白く、普通に爆笑した。
こういうことがあると、ほんと浦島太郎になった気分になる。
服屋の店員さんは私も昔っから苦手で、漫才にもあるように「今日は何をお探しですか?」とか聞かれてもほんと「服です。」と思うし、「いや、探してるわけじゃないんです。」という場合も多いため、いつもいつもあの質問が超絶にうざく、服屋のマニュアルからとっぱらって欲しいと密かに願っている。
服屋で働いているからといって、みんながみんなセンスがいいわけでもない。たまに自分好みのセンスをすぐに汲み取ってくれる人もいるが、トンチンカンなことを言い出す人もいる。
私は雑誌でいうとNYLONとか、わりとガシャガシャした古着っぽい感じとか、ゴシックパンクな雰囲気が好みなのだが、そのようなテイストのお店じゃないところもふらりと入ってみたりする。
あるときふらりと入ったベーシックな雰囲気のお店でかわいい靴を見つけたので、すぐに頭の中では「あんな服とかをあーやってこーやって合わせたら良さそう」などとイメージできたので試着させてもらうことにした。
履いて鏡を見ていると、横から店員さんがこんなことを言い出した。
「あぁ〜!それかわいいでしょぉ〜(はぁと)、短いレースの靴下とか履いて合わせてもらってもすごくいい感じになると思いますよぉ〜♪♪」
私は(ははは…)と苦笑いしながらこう思った。
(うるさいだまれ。私の格好をよく見ろよ。短いレースの靴下なんか小学校の時でさえ履いてないわ。くるくる丸めてドーナツにしたことはあるけど。)
そう思いながら「あなたのアドバイスには全く興味ないですオーラ」を全開に発した。
客の服装をサーチしてから物言うってのは、マニュアルにはないのだろうか。
いや、店のテイストじゃない客が言うのもなんだけどさ。
それと一番意味がわからないのが、会計後の「お出口までお持ちいたします」っていうあれ。あれもマニュアルから無くしてもいいんじゃないかな。
お釣りをお財布にしまったりするのがちょっともたついてしまう時は、確かにある。
そんな時にさりげなく言ってくれるならまだわかる。(ゆっくりしまってくださいの意味で。)
しかし、別に会話が弾んでるわけでもなく、店を出るまでのちょっとの距離を後ろからついて来られるのはなんかヤダ。ホテルじゃないんだし。
「あ、いいです」と言っても「いえいえ、どうぞ」と、たまに譲らない店員さんもいる。
いや、もういいから次の仕事しなよ。なんてことを毎回思いながら店を後にする。
マニュアルってのはある程度の指針としては必要なのかもしれないが、時と場合と対する相手によって自己流に崩していけるのが「売れる店員さん」なんじゃないかと、私は思う。
もし、今後。
私がレースの短いソックスを履いていたら。
その時は笑ってやってくださいね。
張り切りすぎた日の話
高校生時代、同級生たちは髪を染めたりパーマをかけてみたりとしている人が多かったが、当時日陰に隠れてひっそり平凡に生きていた私は、当然地毛の黒髪で日常をすごしていた。
そんな「真面目イメージ」を先生たちに植えつけていたからか、高校三年生ももう終わろうかとする頃、ついに市販のカラー剤に手をのばした時は、頭髪検査をうまく潜り抜けることに成功した。
完全にクラスメイトにはバレバレで「染めたの!?」と驚かれていたその色は、ブルーだった。「光に当たったらなんとなくブルーに見える」を通り越し、光に当たらなくても完全にブルーが分かるくらいで、正直自分でもやりすぎたと思ったくらいだったのだが。
高校を卒業して、私は美容師になるために美容専門学校に入学した。
真面目に過ごしてきた校則縛りの3年間から解放された反動で、私は髪をオレンジに染めた。
映画『フィフスエレメント』のミラ・ジョヴォビッチに憧れていたのである。
美容学校だから当然みんなアーティスティックな髪型で来るもんだと思っていた。
中学生の時から「装苑」を買って読んでいた私にとって、「美容師」というジャンルに占めるイメージの大半は〝アート〟だったのである。
なんとなく、「みんな頭が派手」という勝手なイメージがあった。
専門学校の入学式の日、パンツスーツにオレンジ頭の私は、教室に入って愕然とした。
普通の会社の入社式かと思うくらい、大半がごく普通の髪色だった。
黒や、ちょっと茶色いくらい。
しまった!と思っても時すでに遅く、それからずいぶん経ったある日、友人から「第一印象めっちゃ怖かった。頭オレンジやし。無愛想やし。」という有り難い言葉を頂戴した。
いや、単に張り切り過ぎていただけなんですよ。
女子がみんなミッキーのこと好きと思うなよ?
世間ではもうすぐジングルなベルが鳴り出そうとし、女子たちはやたらと黒いネズミに会いに行きたがる。毎年恒例、この時期の会話(クリスマスの予定を聞かれ、ないと答えると「仕事忙しいもんね〜」というアレ。)にほとほとうんざりする。
以前、誰かに「私、ホームセンターが好きなんです。ホームセンターの木材コーナーが特に好きで、木の表面をスーッと触ったり、匂いを嗅ぐのが好きなんです。次に釘コーナー。いろんな種類の釘を見るのが好きなんです。」
と、ついつい熱く語っていると、
『それ、あんまし人に言わない方がいいよ』と言われた。
道具を見るのも好きで、インパクトドライバーならやっぱりマキタ。
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ってか、マキタってコーヒーメーカーもあるんだ!知らなかった。
道具といえば、理科の実験道具も好きです。
試験管、フラスコ、いろいろありますが、ちっちゃいビーカーとか見ると無性に愛しくなります。
東急ハンズなんかに行くと、必ず理科のコーナーは見て帰ります。
理科の実験道具の中で一番好きなものは、ダントツ、分銅。
「素手で触っちゃダメです!」と言われる分銅。
この分銅の萌えポイントは、板状のちいちゃいやつの端が折り曲がっているところ。
超かわいい。
そして実験が終わって分銅を直すとき、それぞれがちゃんと収まる場所にピタッと収まる。
超気持ちいい。
分銅もいいんですけど、それよりももっと好きなものがあるんです。
これは東急ハンズに行った度に毎回買おうかどうしようか真剣に悩むほど。
あ、そうだ。
サンタさんに手紙を書いてお願いすればいいよね?
サンタさんへ
とうめいひょうほんをください。
できればタツノオトシゴのやつがいいです。
マスミ より
[新世界]透明標本~New World Transparent Specimen~
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「他人は鏡」の意味、わかってますか?
久々来た友人が「仕事でストレスがヤバイ」と話し出したので、私はふんふんと黙って聞いていました。
彼女はゴルフ場内レストランのホールスタッフなのだけど、少人数で回してるというのもあり、本来の業務以外の事までさせられたうえに、ミスがあったら責められ、嫌味を言われ、挙げ句の果てに「私はリーダーから嫌われてるとおもう。私に求めすぎなんよっ。」と言っていました。
私が話を聞く限りでは、嫌われてるかどうかの決定的な要素は見当たらず、「ははん、見えたよ。これはあのパターンやね」と自分の中の引き出しにしまっている「あのパターン」と照らし合わせながら、彼女の話を聞いていました。
「あのパターン」とは。
自分で勝手に「あの人に嫌われている」と決めて、思い込んでいるため、その意識をベースに毎日を生きるパターンです。
自分が誰かに嫌われていると想像してください。ってゆうか、多くの人がこのパターンを持ってると思うので、当てはめながら読んでください。
「私はAさんに嫌われてる(と思う)」と言うとき、自分の顔がどんな表情になってるか考えたことありますか?声は?どんな風に発していると思いますか?
恐らく、こわばった表情をし、声色は厳しいかと思います。
そんな感じで誰かに話しかけられたとしたら、あなたならどうしますか?
ちょっと防御反応に、なりませんか?
その、防御反応になってる相手の感じを見て、「私は嫌われてる(と思う)」と勝手に思い込むんです。そんな感じで来られたら防御反応になるのは当たり前です。
彼女はこんな事も話してくれました。
「ご飯を追加で炊くか炊かないかで、私が、あと何人くらい(お客様が)あがってくるか計算したら二十何人だったのに、他の子が〝十何人です〜〟って言った時があって。アレ?て思ったんだけど〝私が間違ってたかな?〟と思ってたら、やっぱり私が正しくて。でもそれが分かった時にはもう遅くて、ご飯間に合わなかったんだよね。」
私は言いました。
「何でそのままにしたの?自分が確認した事に自信がなかったの?自信がなかったならもう一度確認したらよかったじゃん」と。
話を聞いていくうちに彼女の中にみえたのは、仕事に対する自信のなさと、周りに嫌われたくないということ、そして、自分を信じれてないというようなことが伺えました。
彼女は自分に対して出来ることと出来ないことは、分かっているようでした。
『周りの人が仕事しやすいようにっていう気持ちはある。ほら、前にも話したやん、プライベートでも今日はコレとコレとコレをする!って決めるんだけど、思うように行かなかったら落ち込むって。』
私は聞きました。
「ねぇ、それってどういうことか、わかる?」
『え?……うーん、あ!私は自分に対して理想が高すぎるんよ!』
「ほら、今自分で言ったね!あなたこの話を始めた最初に、なんて言った?〝(周りが)私に求めすぎ〟って言わなかった?(ニヤリ)」
彼女が自分の周りの世界に見ていた「周りの人が私に求めすぎる」という景色は、彼女が彼女自身に対して「求めすぎている」ということを映したものだったんですね。
出来ることだけすればいいのよ、それに、〝出来なかった自分〟がいても良しとすればいいよ〜〜と言うと、来たときよりも表情が柔らかくなってました。
こういう話をしてると、ほんと毎回思うんですけど、世の中うまいこと出来てますよね。
自分でも気づいてない「信念」について考えてみた
「私たちは信念をベースにして日々を過ごしている」といった内容の本を最近読んで、なるほど。と考えさせられることがたくさんあった。
私がまだ気づいていない信念(思い込み)って、なんだろう?
とふと思ったので、いろいろ考えていたら、『内向型』という言葉を知った。
内向型というのは所謂〝気質〟のことで、その反対の『外向型』との大きな違いは、自分の充電の仕方が内向きであること。外向型は外に向かう(起こっていること)ことで自分の充電をするというような感じ。これは性質の違いなだけなので、良い悪いではないということ。
私が一番衝撃を受けたのは、「内向的=シャイではない、世間ではこういった内向型の人に対する誤解がたくさんある」とあって、そうなんだよー!!と強く共感した。それに、内向型の人はそういうものなんですよ、という内容にどこか自分の中にあった詰まりのようなものがスッと取れたような気がして、ものすごくパワーを取り戻した感覚になった。改めて〝認める〟って大事なんだねって思った。(私の場合、人にもよく自分を知らなすぎると言われるくらい自覚がない。)
そう。思い返してみれば、私は自分で自分のことを「内気な人」と思っていたけれど、〝内気〟とはちょっと違うのだ。
〝内気〟を調べると、「引っ込みがちな気質、気が弱く人の前ではハキハキしない性格。また、そのさま。」とあった。
引っ込みたいわけではなく、無駄なエネルギーを消耗したくなかったり、ざっと見渡して自分が出るまでもなければ出ないだけ(つまり無駄なエネルギー〜に戻る)、気は強い方だと思う。
自分の価値観や思想を表に出すことに関して、他人にどうこう評価されることに恐れはない。それは「人それぞれ思いはあるし人を変えることはできない」というのが前提にあるから。意見を求められればいうけど、そうじゃなければわざわざ言わない。エネルギーの無駄だから。ただし、発言するときは正直なことしか言わない。端的に。ああだこうだいうのはエネルギーの無駄だから。その発言に関する内容を内に向かって探る時間、俯瞰して物事を観察する時間は、私にとっては〝ため(溜め)〟の時間であり、それを外向型の人が見たときに「内気でおとなしい人」みたいに映るんだろう、と思った。
省エネモデルなんです、ワタシ。
充電型バッテリーなんです、ワタシ。
(外向型はソーラーパネルって例えがわかりやすい。)
おしゃべりは好き。だけど中身のない話はニガテ。
シャイとはちょっと違う。だって初対面の人でも普通に話せる人もいる。
人は好き。でも一度に大勢と話すとか、ワッとした状況がニガテ。
エネルギー充電は、ひとりで出来ること、場所など。空気のように居れる人なら可。
ワガママじゃないんですよ、そういう性質なんです。
私たちは好きかそうじゃないかを選び続けている
たまに、自分自身に対して「趣味を見つけないといけないですね」とか、「好きなことを見つけないといけないですね」とかいう人がいる。
毎日、ほぼ毎日好きなことをしたり好きなように過ごしている私からすると、その発言が出てくる大元の気持ちがよく理解できない。
私が思うに、それらの発言をする人っておそらく「好きなこと」ってどこか自分の手の届かないところにあるように考えているんじゃないかなと思った。
私にとって「好きなことをして過ごす」というものは、いかにノンストレスで日々を過ごすかってことで、悩みやストレスが全くないわけではなく、コロコロ変わりゆく気分になるべく沿ってあげるというふうに捉えている。
好きなこと=何か特別なこと、ではなく、「今日はラーメンの気分だからラーメン食べに行こう」みたいな、もっと日常に密着したものの積み重ねなのだ。
そんなことなの?という声が聞こえてきそうだが、そんなことなのだ。
私は幸い自営業をしているため、縛られたくない気質のわたしにとっては〝雇われるストレス、職場の人間関係ストレス〟の軽減度は結構高い。
しかし、そのような自由への対価はもちろん〝責任〟というカタチで現れてくる。毎月ちゃんと一定の額以上売り上げないといけないこと、お客様との間の信頼関係を保つこと、情報収集.発信、マンネリしないように変わり続けることなど、これらの元をたどれば〝取捨選択〟の上に成り立つ。
何を選び、何を捨てるか。
私にとってのこの選び捨てるかの基準は、〝なんとなくいい感じ〟というものである。
もちろん〝好きかそうじゃないか〟で決めることもあるが、それは最初からはっきりとわかりやすい場合が多く、いまいちよくわからない時は落ち着いてジッと自分の胸のあたりに意識を向ける。胸のあたりがざわざわして嫌な感じがしたらソレは選ばない。
好きなことを選ぶということは、そうじゃないものを捨てることでもあり、この両方ともか、あるいはどちらかだけでも自分でわからないと、先に書いたように無理やり趣味を見つけようとしたり、好きなものがわからず麻痺したりするんじゃないかなと思った。
好きなものを選び取る時は、「でも〜」とか「だって」とかいう言葉は出てこないはずだ。好きなものにわざわざ理由をつける必要なんてない。〝なんとなくいい感じだから〟で十分だと思う。